ブックオフは開業から4年後には100店舗を達成し、同じく15年で東証1部に上場することもできた。私のような小さな成功と驕り、そして失敗を繰り返してきたような男でも稲盛哲学を具現できたことに感無量だった。しかし、私という人間は、まだまだ甘かったし、気がつかぬうちに再び驕りの縁に立っていたのだと思う。

 それは2007年5月のことで、私の秘書から緊急のメールが入ってきた。

「『週刊文春』に、ブックオフにおける架空売上とM社とのリベート処理に関する、坂本社長への内部告発記事が掲載されます。事実関係は……」

 報道で指摘された取引先からのリベートは決して違法なものではなかった。それは後に弁護士らによって行われた社内調査でも認められたものだが、真実云々の前に今風に言えば“文春砲”が飛んできたのである。しかも翌週、翌々週と3週連続で打たれた。これは強烈だった。「自分の人生が終わるかもしれない」と思ったほどだ。

 内部告発であるから、告発者がいた。それが誰かは分かっていた。また社内調査委員会の最終報告書は、私が進めてきた「家族主義的な経営」を厳しく断罪していた。家族主義的経営は、紛れもなくブックオフの急成長を生み出した原動力であったが、しかし同時に、家族主義的な甘えが一連の不祥事につながる結果にもなっていると指摘された。

 家族主義的な経営は、稲盛哲学の私なりの解釈であった。騒動の最中、私は事態の収拾や今後について稲盛さんからアドバイスを得られないかと期待していた。盛和塾の例会に出て、塾長との経営問答で稲盛さんに相談したい。そう思っていたら、稲盛塾長から呼び出しがあった。

「○月○日○時に(東京・八重洲の)京セラ東京事業所にお越しいただきたい」と秘書さんから連絡があった。それは「出頭命令」と言ってもよいほど有無を言わさぬものだった。

 私は、「これはありがたい。さすが塾長だ」と思った。しかしこれがいかに悠長で呑気な期待であったかを思い知らされたのである。

 京セラ東京事業所に赴くと、稲盛塾長はニューヨーク出張から戻ったばかりで、面会は10分間と秘書さんから伝えられた。「あぁ、ありがとうございます」と頭を下げたまではよかったのだが……。

 ほどなくして稲盛塾長が、応接室に入ってきた。

次のページ 恐怖を感じたほどの怒り