私を変えた医ケア児ママとの出会い
そんな私を変えたきっかけは、2016年に、現在の私の師匠であるやすこ先生と出会ったことだと思います。やすこ先生は私と同じ医療的ケア児のママであり、出産後に全く違う業種から特別支援教育がご専門の大学教授になられた方です。小児科医の友人と公認心理師の友人が一緒に出た学会で先生と知り合い、私とつなげてくれました。やすこ先生は、私がハワイで生活することになった経緯や、ハワイのソーシャルワーカーのことや日本での障害児育児の理不尽さなどを丁寧に聞いて下さり、たびたび私に授業内で我が家の話をする機会をくれました。その中でも特に印象深かったのは、NICU(新生児集中治療室)で働く看護師さんたちに向けた授業でした。専門職の方であっても「NICUを退院した後の生活や、社会的障壁について初めて聴いた」という方がとても多かったのです。後日、この内容を学会で発表した時にも同じような反応がありました。ちょうど日本でも、インクルーシブ教育や相談支援など福祉サービスの拡充がうたわれ始めた頃だったのだと思います。
自分の人生の底辺だと思っていた部分を、こんなに真剣に聞いて下さる方がいるのは不思議な気分でした。でも、「インターネットや教科書に載っていない話」を伝えていくことにとても興味をもち、これを次の仕事にしたいと思いました。そしてそのためには、主観や自分の要望が先行してしまわないように、大学でしっかり学んで国家資格を取ろうと決めたのです。
40歳を過ぎて大学生になり、その後、大学院で家族支援の研究をすることになるとは自分でも驚きでしたが、やすこ先生がみせて下さった新しい世界のおかげで、20代の頃とは違う学び方をしているように思います。昨年施行された「医療的ケア児支援法(医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律)」には、保護者の離職防止という目的が明記されています。障害のある子どもを育てていても、パパやママが仕事を続けられるなど主体的に生活していける環境になることを願ってやみません。
不安な分、優しさを感じ取れる
さて。47歳の誕生日当日は、明け方に長女が大きなけいれん発作を起こし、バタバタな中で始まりました。お昼すぎに一息ついて友人に電話をすると、書道のレッスンの帰り道だと言っていました。そしてそのまましばらく話を続けていると、突然「玄関まで来て」と言われ、ドアを開けてみるとなんと友人が手作りのお赤飯とチョコレートケーキを持って立っていました。障害児育児はたまに孤独を感じたり不安な気持ちになることもあります。でもきっとその分、こうしてそっと支えてくれる方々の優しさを感じることができるのかもしれません。
※AERAオリジナル限定記事