「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。
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12月中旬に47歳になりました。30歳で双子を出産してから早くも16年以上たち、私の人生の3分の1は障害児育児をしているという計算になります。
プロフィールに生まれた年を出しているので、イベントなどでお会いした方に「同じ年です!」と言われることがよくあり、そうするとだいたい「どうしてそんなに元気なのですか?」と聞かれます(笑)。
もちろん私にも、全く元気が出ない日も何もしたくない日もありますが、このコラム連載をはじめ、NPO法人の運営や学業や子どもの学校のPTA活動など、好きなことを自由にさせてもらっている充実感を感じることも多いです。でも実は、母親になってすぐにこうなったわけではありません。
今回は、障害のある子どもを育てる母親をテーマに書いてみようと思います。
子どもの預け先が見つからず退職
生まれてきた赤ちゃんに病気や障害が見つかり、やむを得ず退職するママがいます。
私もそのひとりでした。当時働いていた会社は、仕事と育児の両立に理解があり、恵まれた環境でしたが、子どもたちの預け先が見つからず、年子で生まれた息子が3歳の誕生日を迎えた月に退職しました。私はその仕事が好きでかなえたい夢もあり、1年間の育児休暇を取得後に時短勤務で職場復帰する予定でしたが、障害のある長女と息子の通院やリハビリが生活の主となり、いつの間にかその夢も消えてしまいました。退職する時には楽しかったできごとがたくさん浮かび残念に思いましたが、「仕方ない」と諦めるしかない状況でした。
退職後は専業主婦となり育児に専念することになったのですが、息子の幼稚園の受け入れ先が見つからなかったり、未就園の息子がいても長女が通っていた児童発達支援センターには付き添いが必須だったりと、障害児育児の社会的な困難を感じることが次々と起こりました。その感情は退職するしかないと諦めた時とよく似ていました。近くに相談場所もなく、孤独を感じていた頃です。「自分の子どもと生活をしているだけなのに、どうして何をするにもこんなに壁があるのだろう?」と、今思うと少し卑屈になりながら、投げやりになっていた時期もありました。