2月10日、石牟礼道子さんが亡くなった。『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)は半世紀近くたったいま読んでも衝撃的だ。

 56年、本県水俣市で発見された奇病は、チッソ水俣工場が不知火海に排出した廃液によるものだった。『苦海浄土』はその間の経緯を語り、関係資料を引用し、病に侵された人々の声を伝える。作中にはこんな語りが頻出する。

〈水俣病、水俣病ち、世話やくな。こん年になって、医者どんにみせたことのなか体が、今々はやりの、聞いたこともなか見苦しか病気になってたまるかい〉

 熊本弁がズシンとしみる。

 が、衝撃的なのはこうした語りだけではない。ノンフィクションと称されたり、ときに小説と呼ばれたり、紹介のされ方に揺らぎのみられる本書だが、それはこの本自体が揺らぎをもったテキストだからだ。本書の誕生にかかわった渡辺京二が、講談社文庫版の解説で舞台裏を明かしている。

〈実をいえば『苦海浄土』は聞き書なぞではないし、ルポルタージュですらない〉。〈石牟礼氏はこの作品を書くために、患者の家にしげしげと通うことなどしていない〉し、〈ノートとかテープコーダーなぞは持って行くわけがない〉。えっ、そうなの? すると作中に登場する患者たちの言葉は何? 渡辺は石牟礼自身の言葉を紹介する。〈「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」〉

 この話をはじめて知ったときには私も驚いた。が、患者たちとの深い信頼関係がなければ、そもそもこんな手法は成立しないのだ。だから石牟礼道子は代弁する。

〈うちゃもういっぺん、じいちゃんと舟で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で〉

 創設されたばかりの第1回大宅壮一ノンフィクション賞を石牟礼道子は辞退した。ノンフィクションとフィクションの狭間で揺れるテキストは、しかしいまも輝いている。彼女にしか書けなかった稀有な文学作品は手法の面でも近代を突き抜けていた。

週刊朝日  2018年3月2日号