法治主義が揺るがされた。権力は暴走する。それを縛る法律という名の鎖を引きちぎった権力は、邪魔者を次々に逮捕して隔離した。法的根拠もないまま、抗議する市民の頭上に自衛隊ヘリを差し向け、工事を急いだ。

 年末には、オスプレイがついに墜落した。近くに漁をする人がいた。集落までは800メートル。命が脅かされた。それでも政府は9日後の12月22日に式典を開き、そのオスプレイが使うヘリパッドの完成を祝った。

 建設準備着手から完成式典までの165日間は、沖縄が1972年に本土復帰して以来、最悪の日々になった。政府はこれまで表向きは「償いの心」を語ってきた。太平洋戦争末期、沖縄を時間稼ぎの捨て石にした。戦争に負けると今度は米軍占領下に差し出し、基地の島にすることで本土の「安全」を守ってもらった。おかしな表現だが、基地を押し付け続けるのにも歴史の経緯を踏まえた一定の礼節があった。

 私たちが高江で目撃したのは、政策の大転換だった。沖縄が進んで基地を引き受けないなら、力ずくでねじ伏せるまで。あえて力の差を見せつけ、あざ笑う。政府のやり方は悪意すら感じさせた。なぜこんなことが起きるのか。合理的な説明は難しい。「もう沖縄に遠慮するのはやめた」、政府が単にそう開き直ったのだと受け止めるほかなかった。一方で、日本の米軍基地の70%が人口1%、面積0.6%の沖縄に偏在する現実は変わっていない。

 後に残されたのは、沖縄の人々の絶望である。「差別」が日常の言葉になった。本土出身の私が沖縄の記者になって20年。なぜ沖縄にいるのか、何を書こうとしているのか。沖縄の人々に立ち位置や覚悟を問われることが増えた。本土との断絶がかつてないほど深まっていることを身に染みて感じている。

 絶望の中に一つだけ希望があるとしたら、それは、きょうの沖縄はあすの本土である、という点ではないだろうか。沖縄で起きていることは、時間差があったとしてもいずれ本土に広がっていく。沖縄に配備されたオスプレイが少しずつ全国に訓練の場を広げているのは象徴的だ。

 冷笑や皮肉ではない。沖縄の問題は本土の問題であり、本土の人々の当事者意識がなくては少しも変わらない。細い糸でも、弱い糸でも、本土と沖縄を結ぶ糸を紡ぎたい。この本に、ささやかな願いを込めた。

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