SOSが深い森に吸い込まれ、どこにも届かないまま消えていく。高江(たかえ)に通った2016年後半、そんな無力感と格闘し続けた。
私は地元紙「沖縄タイムス」の記者をしている。自分の持ち場で、戦後日本が大切にしてきた人権や市民的自由といった価値がなぎ倒されていくのを見た。「戒厳令」が敷かれたかのような異常事態。その異常さが本土に伝わらないまま米軍基地建設が強行され、半年の間に完了してしまった。やり場のない焦燥が、この本を書くきっかけになった。今からでも、政府が高江で重ねてきた所業を知ってほしい。本土の無関心が、それを可能にした。
問題になったのは6カ所のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)。1996年、日米両政府が基地を一部返還する条件として建設に合意し、人口140人ほどの高江集落を包囲する形で計画した。事故が絶えない新型輸送機オスプレイを使うことも、途中で隠しきれなくなって発表された。うるさいし、危ないし、暮らせなくなる。住民は2度総会を開き、2度とも全会一致で反対を決めた。
高江は、県都那覇から車で2時間半以上かかる。沖縄本島で最も過疎化が進んでいる山奥にあり、「陸の孤島」と呼ばれることすらある。ヘリパッド建設現場の周辺には自動販売機もない。携帯電話も通じにくい。
同じ米軍基地問題でも、辺野古(へのこ)の方は、まだ全国的に知名度がある。那覇から1時間と高江に比べれば近く、物理的に足を運びやすい。何より、美しい海を大規模に埋め立てる無謀な基地建設計画が批判を集めている。政府は辺野古でも民意と法を徹底的に無視してきたが、高江ではそれもかすんでしまった。監視の目が少ない分、権力はもっとむき出しの姿をさらしていた。
まず、民主主義が壊された。2016年7月11日。沖縄県民が基地建設に反対する候補者を選んだ参院選の翌朝、正確には投票終了からわずか10時間後に、政府はヘリパッド建設の準備作業に取りかかった。
人権が踏みにじられた。抗議行動を制圧するため、本土から機動隊の応援部隊500人が投入された。暴力が横行し、市民にけが人が続出した。取材中の記者が監禁された。機動隊員の一人は市民を「土人」とののしった。