ニール・ヤングについては、本サイトで2013年春から翌年春まで、ほぼ全作品を取り上げた60本の連載、[ニール・ヤング全アルバム・ガイド]を書いている。その時点で彼は68歳。「さすがにもう」と思っていたのだが、それから昨年(2016年)暮れまでに、さらに5作品が発表された。ライヴ、オーケストラとの共演、若いミュージシャンたちと取り組んだスタジオ録音など、つねに意欲的だ。過去音源の再編集にも全力で取り組み、新しい意味を与えている。編集部から了解をいただき、その都度、書き加えていきながら、あくまでも僕にとってということではあるが、師匠、兄貴としてのその存在の大きさをあらためて確認したものだ。
じつは、本稿執筆時点からみると間もなく、新たなアーカイヴものが届けられることになっている。タイトルは『ヒッチハイカー』。1976年夏に録音されたものの、未発表のままだった、いわゆる《幻のアルバム》である。弾き語りのスタジオ・ライヴで、スタジオにはニールとプロデューサーのデイヴィッド・ブリッグスと俳優のディーン・ストックウェルしかいなかったという。夜明けのマリブ海岸で撮影されたものと思われるジャケット写真がいい。
今回取り上げる《コルテス・ザ・キラー》を収めたアルバム『ZUMA』はその前年(75年)に発表されているのだが、それまでの数年間、ニールはいくつか難しい問題を抱えていた。《ハート・オブ・ゴールド》が図らずも全米1位を記録してしまったことによる状況変化。クレイジー・ホースのギタリストで親友でもあったダニー・ホイットゥンの死。恋人との離別。CSNYは、再結成ツアーを成功させたものの、新作は頓挫。しかし、ともかく、そういったことを乗り越え、いろいろな悩みを吹っ切り、実直なイメージのギタリスト、フランク“ポンチョ”サンペドロを迎えた新生クレイジー・ホースとつくり上げたのが『ZUMA』だった(全9曲中2曲は別ユニットとの録音)。
『ZUMA』は、ニールが1969年から弾きつづけてきたレスポール、愛称オールド・ブラックの音の完成をみたアルバムというとらえ方もできる。クレイジー・ホースとの最初のアルバム『エヴリバディ・ノウズ・ディス・イズ・ノーホエア』ではじめて使われ、《カウガール・イン・ザ・サンド》《ダウン・バイ・ザ・リヴァー》《シナモン・ガール》などの名曲を生むこととなったこのギターは、1953年製のギブソン・レスポール・ゴールドトップ。その名のとおり、金色のギターだが、ニールが手に入れたときはすでに、かなり雑な感じでブラックにリフィニッシュされていたそうだ(クラプトンがジョージに贈った赤いレスポールも当初はゴールドトップだったという逸話が思い出される)。また、フロント・ピックアップはオリジナルのP-90だったものの、リアは別のものに換えられていたという。
その後、ビグスビー・ヴァイブレート・テイルピースの搭載、メタル・パーツの追加、リア・ピックアップの再交換(ファイアーバード用のミニ・ハムバッカー)などさまざまに手が加えられていく。そして、74年のCSNYツアーを通じて完全な愛器となったそのレスポールとともに『ZUMA』のレコーディングに臨んだわけである。
16世紀スペインの探検家が大西洋を渡ってアステカを攻め、大虐殺を行なった末に征服した話からテーマをとった《コルテス・ザ・キラー》は、作品としての重さという面でも、ギター・プレイの充実ぶりという面でも、このアルバムを代表する一曲。新しいギター・パートナーを得たニールが、約7分半、まさに緩急自在といった感じで、レスポールを弾きまくっている。シンプルなコード進行の繰り返しながら、まったく弛みがない。飽きさせることがない。
ライヴでは、湾岸戦争勃発直後のツアーを記録した『ウェルド』収録のヴァージョンがいい。ブッシュ大統領(父)とコルテスをどこかで重ねてもいたのだろう。カヴァーでは、ジャム・バンド・ムーヴメントの中心的存在ガヴァメント・ミュールが98年大晦日公演で残した『ライヴ… ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・アウア・フレンズ』からのテイクが秀逸。ブラック・クロウズなどで活躍したマーク・フォードがゲスト参加していて、約14の長尺でありながら、これもまた、まったく飽きさせることがない。
連載も間もなく終了ということで戯れ言めいたことを書いてしまうが、僕は1953年生まれで、オールド・ブラックと同い年。昭和なら28年で、ニールのもう一つの愛器《ハンク》マーティンD-28ともつながる。かなりいい歳になってから、再生産モデルではあるが、どちらも同じタイプを手に入れ、レスポールにはビグスビーも装着してしまった。そんなガキのような気持ちも大切にしつつ、まだまだこれからも、ニールの音楽を追いかけていこうと思っている。[次回8/23(水)更新予定]