天下り問題や獣医学部の新設をめぐる加計学園問題で、にわかに注目の的になった文部科学省。
辻田真佐憲『文部省の研究』は、そんな文部科学省(前身は文部省)の創設以来の歩みを追った本である。副題は「『理想の日本人像』を求めた百五十年」。これを読むと、そのときどきの国家の方針や為政者の思惑によって、文部省がどれだけ翻弄され、右往左往してきたかがわかり、情けないやら涙ぐましいやら。
文部省が正式に発足したのは1871年。当初から日本の教育方針は「欧米式の啓蒙主義」と「復古的な儒教主義」の間でゆれていた。そこで1890年には「教育勅語」が発布されるが(教育勅語は意外にも近代的な側面を備えていた)、10年おきに勃発する戦争に対応して、この後「理想の日本人像」は激しく変化する。日清戦争後にはリベラルな「第二の教育勅語」が構想されたりもしたが、徐々にそれは国家主義的な傾向を強め、1930年代なかば以降は「天皇に無条件で奉仕する臣民」に収斂されていく。
そして「教育基本法」とともにスタートした戦後。「理想の日本人像」も大転換した。すなわち「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」。が、これはこれで普遍的すぎて反動を招く結果となり、さらに高度経済成長期になると企業戦士の養成が課題として浮上、「期待される人間像」が打ち出される。今度は「責任をもって黙々と働く日本人」。
右へ左へと付和雷同する文部省。加えて宿敵・日教組との攻防。経済界や保守団体の手前勝手な要求と、官邸や他の省庁の介入。
こうしてみるとたしかに〈文部省は主体的な組織とはいいがたく、つねにほかの組織に介入され続けた〉。その伝統を今も引きずってるんだ。もちろん、それは教育が重要だからなんだけど、ナショナリズムとグローバリズムの狭間で「理想の日本人像」はゆれ動いてきた。その上〈教育をめぐる議論は、イデオロギーが跋扈し、空理空論に陥りやすい〉。右派も左派も教育にはうるさいからね。
※週刊朝日 2017年8月4日号