1985年4月から87年8月にかけて、月曜~金曜の夕方5時からフジテレビ系で生放送されていたバラエティ/情報番組、「夕やけニャンニャン」。当初のオープニング・テーマ曲はチェッカーズの「あの娘とスキャンダル」、司会進行は片岡鶴太郎と松本小雪が担当していたが、次第に番組のマスコットガール的存在だった"おニャン子クラブ"への注目が高まり、85年7月にデビュー・シングル「セーラー服を脱がさないで」を発表。群雄割拠のアイドル界(当時はソロ歌手が主流だった)の中に集団で乗り込み、現在へと続く大人数アイドルの元祖といえる存在になった。
内海和子さんは、初期・中期のおニャン子クラブでメインヴォーカルを務めたひとり。今年で解散30周年を迎える同グループにちなんだエピソードを、いろいろうかがった。
■おニャン子時代は、どう睡眠時間を確保するかが問題でした
――おニャン子クラブに抜擢される前は、オールナイターズ(フジテレビ系で土曜深夜に放送されていた番組「オールナイトフジ」のマスコットガール的存在。女子大生で構成されていた)にいらっしゃったんですか?
私の場合、逆です。おニャン子クラブに入った時は、大学一年生でした。その後「君は大学生なんだから、ちょっとオールナイトフジにも出てみない?」と誘われて、3回くらい出ました。こういうケースは私しかいないと思います。
――そしてデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」(1985年7月5日発売)が登場します。メインヴォーカルは内海さん、新田恵利さん、福永恵規さん、中島美春さん。この4人は、どうやって選ばれたのですか?
おニャン子専属のボイトレの先生のピアノにあわせて、ひとりずつワンコーラス歌った時がありました。そのときは「なんだろう、これ?」と思っていたのですが、どうやらそれがオーディションだったみたいですね。
――おニャン子に入ったきっかけは?
歌手になるために平尾昌晃歌謡教室で頑張るか、どうしようかと考えていた時に、とんねるずさんの「おニャン子クラブ募集」というCMを見て応募しました。大学に入る直前の春休みのことです。