――内海さんは「夕やけニャンニャン」内のコーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ」で合格し、おニャン子クラブの会員番号13番になりました。おニャン子への注目が日々高まっていく中で、自分たちが社会現象になる予感は?

 まさか、夢にも思っていませんでした。びっくりしました。

――池袋のサンシャイン噴水広場で行なわれるはずだった「セーラー服を脱がさないで」のリリースイベントが、ファンが集まりすぎて中止になったり……(85年7月4日。当初の予想は500人だったが、4000人が殺到したという)

 メンバー全員サンシャインに到着して、準備も終えていつでも出られる状態だったのですが、おニャン子が登場するとパニックになってしまうかもしれないから、中止にしようとスタッフが判断したのだと思います。私たちは楽屋から一歩も出られない状況となり、帰る時も迷路のような通路を通って地上に出た記憶があります。

――サンシャイン噴水広場が「アイドルイベントの聖地」として決定づけられたのは、その"イベント中止"があったかもしれないですね。

 おニャン子時代のことは……もう忙しすぎてほぼ記憶がないですね。どう睡眠時間を確保するかが問題でした。学校に行って寝て、講義中に寝て、通学中の電車のなかで立ちながら寝ていたほど。大変な時期でした。

■数万人の声援のなかで歌う解放感、臨場感は、なんていいものなんだろう

――今はデジタル画像が主なので加工や修正がしやすくなりましたし、CGもありますが、当時はフィルムの時代です。メンバーが全員そろっている写真は当然、1回で集まって撮影していたわけですよね? たとえばファースト・アルバム『KICK OFF』のジャケットとか。

 みんなで集まったところを撮影してもらいました。このジャケット(『KICK OFF』、85年9月21日発売)は広いスタジオに車を2台用意して並べて、みんなが座って。まったく合成はしていません。おニャン子は学業優先なので、みんなそれぞれ学校が終わったらスタジオに飛んで来て着替えて、でも(労働基準法で)おそくまで仕事はできない。だから『KICK OFF』のジャケットも、当時のメンバー全員が揃ったほんの一瞬をとらえたものだと思います。

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