理由はさまざまあるが、一つは87年に東大が出身校の所在地の公表をやめ、受験番号と氏名のみの発表となったことだ。また、特定作業が業務の負担だったことなどもある。
「受験競争をあおる」といった批判が根強くあったことも理由の一つだ。
当時、朝日新聞をはじめ、本誌も学歴社会に批判的な記事を多く掲載していた。
その一方で、大学合格者ランキングや、東大や京大の合格者の実名を本誌に掲載する「ダブルスタンダード」がやり玉に挙がった。
そうした批判に対して、朝日新聞の77年4月10日付と、しばらく間をおいた83年4月24日付の2度にわたり、「読者と朝日新聞」という欄で釈明している。本誌編集長と朝日新聞の社会部長の連名で、「世の中の関心が高い情報のため」などというものだ。
「東大合格速報」はいったん取りやめたが、大学受験特集がなくなることはなかった。
合格者の出身高校を公表している大学はまだ多く、こうした情報をまとめて、88年には「全国450高校の私立大合格者一覧」などの特集が組まれている。
90年代前後には、団塊ジュニア世代がこぞって大学を受験し、苛烈な競争の様子も特集にまとめている。また、94、95年には駿台予備学校のデータをもとに、東大前期合格者数の高校別ランキングを掲載。その後、森上教育研究所や大学通信の協力を経て、ランキングの「全面復活」に舵を切っていく。
2000年に「東大合格者 高校別速報」を復活させ、大学通信との協力体制を進めたのが当時の本誌副編集長・中村正史さん(現・朝日新聞社教育コーディネーター)だ。
その狙いについて、中村さんはこう明かす。
「当時、大学合格速報を続けていたのが『サンデー毎日』しかなかったのですが、読者の関心も高いこの報道が事実上の1社独占だったことに風穴を開けたいという思いがありました。もとより、私は東大に批判的な記事も書いていましたが、受験報道の多様性を維持したいという狙いもありました」