これは、初代マレーシア首相であるトゥンク・アブドゥル・ラーマンさんの大きな功績です。彼が奔走(ほんそう)することで「無血独立」を果たしたからこそ、その後の経済発展を支えるインフラが遺(のこ)された。もしも、独立戦争が起きてインフラが破壊されていたら、その後のマレーシアの歴史は大きく変わったはずです。

 道路など目に見えるインフラだけではありません。イギリスはリベラルな資本主義経済と法治国家の概念(がいねん)も遺しました。マレーシアの人々は勤勉な労働倫理をもっていますし、契約概念など商取引をするうえで欠かせない観念も一般に浸透していました。これは、東南アジア各国のなかでもきわだった特徴でした。つまり、経済発展をする可能性が最も高い国だったのです。

 こうしてマレーシアの可能性を見極めたうえで、さらに、私は貯金をはたいて国立マラヤ大学に留学。1年間という短い期間ではありましたが、実際に住んでみてマレーシアという国を理解しようとしました。

 実際に住んでみなければわからないことはたくさんあります。たとえば、第二次世界大戦時に日本軍が華僑を弾圧したために、華僑には根強い反日感情がありましたが、マレーシアの人口の約65%を占めるマレー人には親日家が多いことを肌で感じました。留学中に国内をくまなく旅行したときに、私が日本人であるというだけで歓迎してくれるマレー人に何度も巡り合ったのです。こうした経験を数多くすると、「この国でやっていける」という判断がどんどん腹に落ちてくるのです。

 このように、あらゆる観点からマレーシアという国を分析したうえで、この国を自分の人生を賭ける「場所」にすると決断しました。いわば、石橋を叩くように慎重に検討したうえで、「勝算あり」という自分なりの答えを導き出したわけです。

 だから、決して「無謀」な選択をしたわけではありません。「ハイリスク」と「無謀」はまったく異なるものです。可能性とリスクをじっくりと検証したうえで、許容できる最大限のリスクを取る。これが、「ハイリスクを取る」ということなのです。

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