「幸せ」以外の言葉を探している
「『幸せ』って言葉は間違っているんじゃないかと最近考えるんですよ。たとえば世間一般に言われる『幸せ』って、『お金の不安がない』『いい家に住んでいる』『やりたい仕事をしている』『信頼できるパートナーがいる』『心身ともに健康』とかでしょう。手に入れたいし、手放したくないものだけど、これって『不安がない状態』ですよね。『幸せ』って、消去法で浮かび上がるものなの?って考えると、そうじゃないだろって気持ちになるんです」
つまり、「幸せ」という言葉では、腑に落ちないということだ。
「言葉の問題な気がします。たとえば、気分が落ち込んで、体も心も重いっていうとき、その不調が全人生に及んでいる気がして、『自分はダメだ』って落ち込んだりしますよね。でもそこに、『肩こり』って言葉を与えられると、自分のせいじゃなくて、血流が悪いだけなんだって思える。言葉があるおかげで、人生のことまで考えなくて済むわけですよ」
自分で形にして、自分で認める
確かに、名前がつくことで頭が整理されることはある。
「『幸せ』って言葉を、ほかの言葉に言い換えて、私を納得させてほしいって気持ちがずっとある。自分にしっくりくる言葉を与えられたら、たぶんもうちょっと『これでいいんだ』って思える気がします」
そして、しばし頭を悩ませるとこう言うのだった。
「毎朝、歯みがきをするときに理屈なんて考えないですよね。そういうふうに淡々と仕事をしたい。それをもう1人の自分が、『ふむふむ、今日もやっとるな』って観察している状態ができたら、それが『幸せ』なのかな。『自分が培ったもので何かかたちにして、それを自分で認めるということ』という長いフレーズを一言でいう言葉が生まれたら、たぶん私は自分が得ているものに向き合って、自分自身を認められるような気がする」
なんだかその言葉も、いずれ朝の「声」が教えてくれるような気がした。
私はコーヒーを飲みながら、言葉との関係が深すぎる綾子さんに、「さすが本をつくっている人は違うなあ」としみじみ思うのだった。
(構成/インベカヲリ☆)
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