
原発事故の後は、「自分にできることをやろう」と考えが変わりました。被災地に行き、コンサートや朗読もしました。ひとつ思うのは、「原発事故を考えること」と「戦争と平和を考えること」はつながっているということです。
人が人を殺すということがどんなに悲しく、許されないことかを理解しない人間がいま、核を持ち、兵器を使おうとしている。いったん核を持てば、人間はどこかで使おうとするでしょう。一方で原発事故による被災者の傷もまた、長い年月を経て続くもの。原発は「絶対に安全なもの」とは言えないでしょう。
人間は本当に愚か
戦争と原発。共通して考えるべきことは、「核」は持ってはいけないということです。そのことが平和につながるということを、すべての人間が真剣に考えないといけないと、私は思います。
一方で、「平和」という言葉の使われ方に少し違和感を持つこともあります。「平和について考えよう」「平和じゃなきゃいけないよね」などと、「平和」という言葉をある意味でカジュアルに使いすぎることで、私たちのこの言葉に対する姿勢がどこか怠惰になってしまっている。そんな面もあるのではないでしょうか。
人が人を殺す「戦争」という巨大なものがいったん始まれば、ひとりの人間なんてひとたまりもない。いまも世界中で戦争が起きています。「平和」というものが軽々しく扱われているこの世界だからこそ、一人ひとりが「平和」という言葉をもっと大切に発しなければいけないのではないか。そんな気もします。
戦争はしちゃいけない、絶対に。でもいまだに世界では戦禍がやまず、減るどころか増えていっている。人間は本当に愚かですね。私も含めてですけど。戦後80年がたち、体験を語ることのできる世代もどんどん少なくなっています。でも、私は希望を持ち続けます。希望がなきゃ生きていけませんから。いま、84歳。残りの人生で何ができるかと言えば、たいしたことはできないかもしれない。でも戦争と平和について考える何らかの機会があれば、少しでも自分のできることをやっていきたい。そう思っています。
(構成/AERA編集部・小長光哲郎)
※AERA 2025年8月11日-8月18日合併号
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