また、南野は80年代を代表するCMクイーンの一人でもあった。

「真っ先に思い出されるのが、オーディオメーカー『ONKYO』のCM。当時はミニコンポが大流行しており、とりわけ南野が出演していた『ラディアン』シリーズは、受験に合格した際のご褒美の定番となっていました。ONKYOの社員は右手にパンフレット、左手には南野のテレホンカードの束を持って商談に臨んだといい、営業先から『商談に来なくていいからテレホンカードだけ持ってきてくれ』と言われたという逸話も。また、江崎グリコのアーモンドチョコレートやセシルチョコレートのCMにも出演。山口百恵や松田聖子といった歴代アイドルたちが受け継いできた“王道アイドル枠”だったことで、そのバトンを受け取った南野も大注目を集めました。撮影に使われたロケ地を巡って、当時ファンの間では『あの駅はどこだ?』と“ロケ地論争”が巻き起こるほどの反響を呼んだものでした」(同前)

「スケバン刑事」と並ぶ、もう一つの代名詞がニッポン放送で放送されていた伝説的番組「南野陽子 ナンノこれしきっ!」である。

「南野ファンに限っては、このラジオ番組の方がより強い思い入れを持っているかもしれません。最盛期には週に平均1万通のはがきが寄せられ、彼女のモーニングコールを吹き込んだカセットテープのプレゼント企画では15万通のはがきが集まり、ニッポン放送の記録を塗り替えています」(スポーツ紙記者)

 ラジオを通じたファンとの熱い交流は、まさに“南野陽子の時代”を象徴する現象だった。前出のアイドルライターが言う。

「全盛期中の全盛期といえば1988年でしょう。シングルの年間売り上げもピークに達し、当時の歌謡界を代表するトップアイドルとしての地位を確固たるものにしました。女優としては、NHK大河ドラマ『武田信玄』に出演。武田信玄の初恋役と側室役の二役を演じています。この年のブロマイドの売り上げは、アイドル名鑑のバイブルだった『NIPPONアイドル探偵団』のランキングでも1位でしたね」

 名実ともに“時代を超えて愛されるアイドル”とは、南野陽子のことを指すのだろう。

(泉康一)

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