
「集団自決」の後、並里と家族は、一度は壕を出た。しかし、外では激しい戦闘が続いていた。身を隠せる場所はなく、壕に引き返すしかなかった。
壕の中は、死臭が充満していた。腐乱の進む遺体は腹を膨らませ、やがてプシュッという音を立ててしぼんだ。大量のウジが湧き、遺体を食べる音が並里の耳に迫ってきた。壕の入り口付近には昼間はうっすらと光が入るが、奥は真っ暗のままだった。その暗さが幸いした。「見えなかったから(そんな悲惨な状況の中でも)過ごせた」と並里は振り返る。
並里の家族が壕から出たのは5月21日のことだ。祖父の妹にあたるおばあの、並里たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。その声に誘われて、並里たちは恐る恐る縄ばしごを上がった。
並里の家族は「集団自決」を奇跡的に生き残り、米軍に収容された。
40代半ばから体の不調が
戦後は父が復員してきた。しかし、並里は魂が抜けたような状態だった。食事もなかなかのどを通らず、人に話しかけられても、「うん」「はい」と答えるのがやっとだった。中学生の頃には、なぜか左足首だけが冷たく感じられて、夜も眠れなかった。祖母に触ってもらうと「全然冷たくない」と言われたが、並里の体感は変わらなかった。
中学を卒業後、アメリカ人の宣教師夫妻の元で2年間養育された。聖書学校でも勉強し、少しずつ心を癒やしていった。その後、結婚。3人の子どもを授かり、仕事や子育てに追われた。
異変が始まるのは40代半ばからだ。夜中にお腹が異様に冷えて目を覚ました。氷の塊がお腹の中に入っているように感じた。白湯を飲んでも治まらなかった。60歳を過ぎると、深夜に急に気分が悪くなるようになった。冷や汗が出て、下痢と嘔吐に同時に襲われた。病院に行っても原因は分からず、重病ではないのかと恐怖を感じた。
正体が分かったのは2013年だ。沖縄戦のトラウマについて研究してきた元保健師で、沖縄県立看護大学元教授の當山冨士子(77)と出会い、精神科医の蟻塚亮二(78)が書いた文献を渡された。それを読み、自分の身に起こっているのは、沖縄戦によるものなのだと、並里は自覚した。
振り返ると、思い当たることがいくつもあった。戦後の心や体の不調が思い起こされた。
島にやって来た頃は優しかった「兵隊さん」たちの豹変。幼い我が子を手にかけ、おかしくなった母。壕の中で足首を握られた、冷たい手の感触。友人の最期の声……。その記憶は何十年も、意識の下に色あせることなく眠っていたのだ。