
不調の原因が「戦争トラウマ」と分かってから、並里はかかりつけ医に精神安定剤を処方してもらい、以前よりは少しだけ症状が落ち着いた。だが、きっかけがあれば、トラウマは何度でも顔を出した。
ある日、新聞に掲載された写真を見て、頭がふくれるような感覚に陥った。並里が目にしたのは、ガマの入り口で泣く赤ん坊をあやす母親と、それを労るような様子の米兵を写した沖縄戦の時の写真だった。母が弟を絶命させた時の光景が生々しくよみがえってきた。その晩は薬を飲んでも下痢と嘔吐が治まらなかった。
テレビに映る世界中の戦争も、強いストレスだ。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、何度も体調を崩した。「もう戦争はないと思っていたのに」と並里はつぶやく。あまりのつらさに並里は、沖縄で月に1回診察している蟻塚に、2024年2月に直接診てもらった。
蟻塚は並里の話を聞き、腹などを触診した上で、沖縄戦によるPTSD(心的外傷後ストレス症)と診断した。「沖縄戦の体験がフラッシュバックすると腸に影響が出るんだね。腸が緊張して、動きが早まり、下痢と嘔吐となる」と説明した。並里は漢方薬と少量の抗うつ剤を出してもらった。調子は上向き、最近は落ち着きを取り戻している。
蟻塚は「沖縄戦のトラウマ記憶は、意識の下に潜り込んで『寝たふり』をしているだけだ」と言う。並里を支援してきた當山もこう語る。「良くなったというのは、トラウマに一時的にフタがされただけで、戦争と関連するような出来事があると、またフタが外れて、すぐさまトラウマ反応が起こる。戦いは80年前に終わっているが、並里さんの中では戦争はいまだに終わっていないのです」

ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う (朝日新書)戦後80年、元日本兵の子や孫がようやく語り始めたことがある。戦争トラウマだ。 過酷で悲惨な戦場を経験した元兵士の多くが心を壊した。悪夢、酒浸り、家族への暴力……壊れた心が子や孫の心もむしばんでいく負の連鎖。 隠された戦争の実相に迫る。