帰途、豊島園駅の改札までほぼ無言。「よかった」「すごかった」「素晴らしかった」、一体なんと家内に感想を伝えればよいのだろう。語りたいくせにこれが苦手なのだ。何を言っても安直で陳腐にしか聞こえないし、何も言わないのもおかしなものだし。なんとか捻り出せ、俺。

 数分後。

「……俺、本当に横浜流星じゃなくてよかった」

汚れもときどき綺麗に拭く

「? どういうこと?」

「横浜流星じゃなくてよかったよ……だってもし俺が横浜流星だったら『国宝』のオファーがきたら受けるよ。もちろんオファーは受けるけど、俺にはあれだけのパフォーマンスをするのはどう考えても無理だ。絶対出来ない。1年以上かけて日本舞踊、歌舞伎の所作、古典の勉強、セリフ覚え……そのあいだに、『べらぼう』のオファーがくるのか、もうきてるのか、やろうか、やるまいか、そんなことを考えながら、また他のドラマ撮ったり、なんかのテレビ出たり、どっかのインタビュー受けたり、その合間に摺り足したり、踊ったり、セリフ覚えたり、本読んだり。もちろん、メシ食ったり、風呂入ったり、寝たりという人間としてのいつもの活動はするんだろ? どう考えても時間が足りなすぎる。もし俺が横浜流星だったとしても、出来れば春風亭一之輔としての活動も残しておきたい。だってそれをしないとおかしくなってしまうから。寄席には出るよね。上野鈴本、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、自分の独演会、地方の落語会、全国ツアー、ラジオ、コラム執筆……洗濯もしなきゃいけない。洗い、すすぎ、脱水、乾き上がったら畳んで、それぞれのタンスに収めたり。水曜日と土曜日には燃えるゴミを出す。とくに水曜日は8時きっかりに収集車がくるから必ず7時55分にはゴミを出す。トイレは座ってする。便座の裏っかわについた汚れもときどき綺麗に拭く。その合間にまた日本舞踊の稽古稽古稽古。歌舞伎の所作所作所作。そんなの出来るわけがない。もし俺が横浜流星だったら『国宝』はこんな素晴らしい作品にはなってなかっただろうし、我が家のトイレの便座の裏も汚れたままだったかもしれない。もうダメだ!って本業たる落語も投げ出していただろう。俺が横浜流星だったら俺は『国宝』のプレッシャーに押し潰されて、こうして君と『国宝』を観ることなど叶わず、今ごろどうにかなってしまっただろう。だから俺は心から横浜流星じゃなくて本当によかったと思うよ……」

「………」

次のページ 本当に吉沢亮でもなくてよかった