
もし落とし物をして、その人が気づかないままでいれば、やがて困るかもしれない。そう想像することももちろんできます。
が、そんな想像を働かせる手前で身体がぱっと動き、声をかけて、手を差し伸べてしまう。その瞬間の何気ない動作は、相手を助けたいとか、見返りがほしいとか、自分の利益になるとかの思考とは関係がありません。
それこそ今目の前にいる人と、意識や思考、さらには共感にも先立って、私たちがやさしさでつながろうとしてしまう瞬間です。これは食卓で「そこの醤油取って」と言われて「はいっ」と手渡す、ほんの些細なことでさえそうなのです。
こうした小さな善意たちは、あなたの中にもきっとあるはずです。
どうして私たち人類は、自分にとって直接的な得になるとは思えないマイクロ・カインドネスを行うのでしょうか。もしこうした小さなやさしさがなければ、世界はもっとギスギスと殺伐としたものになっていたはずです。
利他行為の起源はいまだにわからない謎
進化論や人類学、遺伝学などさまざまな学問によって調べられていますが、この見知らぬ他人への直接的な利他行為の起源はいまだにわからないことが多いです。私たちの遺伝子に組み込まれた行動なのか、文化社会的に伝達され刷り込まれるものなのかも謎のままです。
はるか昔、私たちホモ・サピエンスが生まれる前の祖先の人口は極めて少なかったことがわかっています。異論もありますが、遺伝子解析によると約93万年前には私たちの祖先の人口は98%減少し、約1280人だった可能性があるといわれています。[Hu W. et al.,Genomic inference of a severe human bottleneck during the Early to Middle Pleistocene transition, Science, 381, 979–984(2023).DOI: 10.1126/science.abq7487]
そしてその規模感は81万5000年前までつづき、私たちの祖先は絶滅寸前だったようです。実際、たくさん存在していたヒト属の種はみんな滅びてしまいました。
ホモ・サピエンスという私たち人類が生まれた頃(20万年ほど前)も、最初は5000人程度だったのではないかと推測されています。[大塚柳太郎『ヒトはこうして増えてきた─20万年の人口変遷史─』(新潮社、2015)]