
継続する人間関係において最初こそ相手にやさしくできても、それをずっとつづけられる人は少なくない。ものごとをありのままとらえようと試みる「現象学」を専門とする哲学者の稲垣諭さんは、「やさしいがつづかない」と思っている人にも「小さなやさしさ」があり、誰かとつながりたい感覚が根底にあると説く。新刊『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)より、「私たちは孤独が怖い」を抜粋する。
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「小さなやさしさ」は義務でもルールでもないのに
突然ですが、犬を散歩させていて、向こう側から別の犬がやってくるときのことをイメージしてみてください。「がるるっ」という一触即発のあの雰囲気、わかりますか? 飼い主も「吠えないでね、吠えないでね」と呪文のように唱えているあの瞬間です。
このように動物たちが顔を合わせて出会うときにはいつでも緊張が高まります。特に捕食─被食関係にあればなおさらです。
それに対して私たち人類は、まったく見知らぬ人と出会っても特に何もしません。ただすれ違うだけです(たまに、オットセイのように「おうおう」とにらみ合って喧嘩したりする人たちもいますが……)。
山登りしているときは、安全確認の意味も含めて、すれ違う人の誰とでも挨拶を交わすだけでなく、その先にぬかるんでいるところがあれば、教えてあげたりもします。これもちょっとしたやさしさの交換です。
私は、些細なことで困っている人に手を差し伸べる行為を「マイクロ・カインドネス(micro-kindness)」と呼んでいます[稲垣諭『「くぐり抜け」の哲学』(講談社、2024)、3─4「マイクロ・カインドネスを信じる」を参照]。文字通りこれは「小さなやさしさ」のことです。
実はこうした行為は、やらなくても特に問題がありません。義務でもなければ、ルールがあるわけでもない。
しかし私たちは、咄嗟にそうしたことをしてしまいます。
