
彼女自身、どうして神をひたすら信じ、愛に溢れたまま生きることができないのか苦悩しつづけていました。そうはいっても、彼女のやさしさに触れようと世界中の人々が面会にやってくるのですから、彼らと会っているときに、そんな心の闇を顔に出すわけにはいきません。内面の苦しみを押し殺しながら、慈善活動をつづけていたのです。
しかし仮面をかぶるような二重生活が彼女をさらに追いつめます。その苦悶する叫びは次の告白からも伝わってきます。
「神に対する思いは痛いほどあるのに、闇はさらに深くなっています。わたくしの心の中には何という矛盾があるのでしょう。内面の痛みはあまりにも強いので、すべての評判にも人びとの評価にも何も感じません」
[マザーテレサ著、ブライアン・コロディエチュックMC編『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』(里見貞代訳、女子パウロ会、2014)284頁]
「自分は必ず『暗闇の聖人』になる」
世間の評判など何の意味ももたないほど彼女の「闇」は深く、拭いきれないものであったようです。
「たとえ聖人になれるとしても自分は必ず『暗闇の聖人』になるだろう」と彼女は弱音を吐いています。やさしい人間でありつづけることの困難さを身をもって知っている彼女であるからこそ、ほかのシスターたちに次のように伝えているのです。
「お互いに親切にしなさい。あなたがたが不親切によって奇跡を起こすよりも、親切によって間違いをするほうを好みます。やさしい言葉で人びとに接しなさい。……たったひと言によって、一瞥によって、一瞬の行為によって、暗闇がシスターたちの心を覆います。何という苦しみ、何という誤解、それが何の役に立つのでしょう。……マリア様があなたがたの心をやさしさで満たしてくださるように願いなさい」[マザーテレサ著、ブライアン・コロディエチュックMC編『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』(里見貞代訳、女子パウロ会、2014)320─321頁]と。
やさしいがつづかないのは、立派な哲学者や思想家だけではありません。神の庇護のもと、神とともに生きていると信じている人でさえ、それは途方もなく難しいことなのです。