
人に対してやさしくしたいのに、それが続かない。強く人に当たってしまったり、心にもないことを言ってしまったり――。そこに自己嫌悪を覚えている人もいるだろう。ただ、ものごとをありのままとらえようと試みる「現象学」を専門とする哲学者の稲垣諭さんは、「大丈夫、やさしいはつづかないのですよ」と説く。それはあの歴史に残る聖人でさえも。新刊『やさしいがつづかない』(サンマーク出版)より、「暗闇の聖人マザー・テレサ」を抜粋する。
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「やさしくなれない」自分に葛藤した
現代におけるやさしい人の代表は誰かと考えてみましょう。マザー・テレサ(1910─1997)という女性の聖人が思い浮かぶかもしれません。
彼女はカトリック教会の修道女で、貧しい人への施しとその寛大さによって世界中の人に愛され、ノーベル平和賞も受賞しています。
彼女のような人徳のある人であれば、身体全体にやさしさが溢れていてもよさそうです。が、そんな彼女も生涯で何度も「やさしくなれない」自分に葛藤し、その苦しみの中にいました。その様子が彼女の残した手紙から明らかになっています。さっそくその言葉を聞いてみましょう。
「今年わたくしはたびたび短気になって、注意を促すときにも厳しく、それがシスターたちによくないこと、親切であるときにこそ、よりよい結果が生まれることもわかりました」
[7 マザーテレサ著、ブライアン・コロディエチュックMC編『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』(里見貞代訳、女子パウロ会、2014)261頁]
「特に注意をしたり、貧しい人を断らなければならないときに、声の調子にやさしさをもって示すこと」[マザーテレサ著、ブライアン・コロディエチュックMC編『マザーテレサ 来て、わたしの光になりなさい!』(里見貞代訳、女子パウロ会、2014)261頁]、それが何よりも大切なんだと自分に言い聞かせています。
