
女優、歌手、タレントのほか実業家として活動する鈴木蘭々さん(49)。19歳の時に子供番組「ポンキッキーズ」に出演し、歌手の安室奈美恵さんと組んだ「シスターラビッツ」でブレークすると、ファッション誌のモデルとしてや、テレビ番組で引っ張りだこに。ボーイッシュなショートヘアと天真爛漫なキャラクターで時代のアイコンになった。米国・ニューヨークに留学して帰国後は舞台女優で活躍する傍ら、コスメ会社を起業。2018年から歌手活動を再開した。インタビューの【後編】では芸能界入りを目指した複雑な家庭事情、人気絶頂期に留学を決断した理由、人生の価値観が変化した出来事などについて語ってくれた。
【写真】はにかむ姿が初々しい!モデル時代の蘭々さんはコチラ!
* * *
【前編】鈴木蘭々、逝去した知的障害の兄がホームレスにかけた「忘れられない言葉」 母親はびっくりして泣き出した
――中学1年の時に原宿でスカウトされ、芸能の世界に入りましたが憧れはあったんですか?
気づいたら芸能人に憧れていました。夢って不思議ですよね。子供ってたいした情報量を持っていないのに夢を抱くじゃないですか。でも今になって振り返ると、「自分も芸能界に入りたい!」という思いと同じくらい、母を喜ばせたいという気持ちがとても強かったように思います。
「お母さんを助けたい、喜んでほしい」
――お母さんと接するうえでいろいろ感じる部分があったんですね。
2番目の兄に知的障害があったので(インタビュー前編参照)、そのようなお子さんを持つお母さん達のコミニュティーに私も一緒に連れて行かれることがありました。まだ幼かったので大人達の細かい話しは理解できなかったけど、「ここにいる人達は何かいろいろなものを背負って生きているんだな」と感じたことがありました。母にたいしても同じような思いを抱いていて子供ながらに「お母さんを助けたい、喜んでほしい」という気持ちがありました。
――「ポンキッキーズ」に出演してブレークし、その思いを実現した時はいかがでしたか?
夢がどんどんと叶っていく感覚がありました。睡眠時間も短くて本当に忙しかったですけど、やりたい事をやっていたのでストレスを感じた記憶があまりありません。というかそれなりにあったのかもしれないけど、時間の経過と共に過去の出来事は全て素晴らしい体験と思い出になっちゃっています(笑)。
