そんな中、「師匠のホームページをもとに、1冊にまとめたい」と編集者さんから声をかけていただいたことにも、正直、驚きました。

 私はこう見えて(どう見えてます?)パソコンやインターネットには早い段階から手を付けてました。雲助は六代目だけど、PCはもう何代目かわかりませんよ。個人でホームページを作ったのも、落語家の中では最初だと自負しています。

 そのホームページの「鶯宝恵帳」という項目に、自分の持ちネタについてのあれこれを書いたり、以前やっていた勉強会のプログラムの文章を載せています。「人情噺」「世話噺」についての私の考えや、「『べらぼう』についての一考察」というアカデミック(?)な文章も書いていて、それなりの文字数になっていることは間違いないけれど、ホームページは無料で読める。それを本にして値段をつけて、さて、買う人なんているのかしら? と、当初はかなりびっくりしましたが、詳しく話を聞いてみたら、「ホームページをもとに、新たにお話をお聞きして、全面的に作り直します」とのことです。

 さらに、かねてから親交のある演芸評論家の長井好弘さんが聞き手になってくれるらしい。長井さんとは、雑誌の企画で、吉原周辺を一緒に〝探検〟した仲ですから、それだったらなんとかなるのかもと、お引き受けすることにしました。

 しかし、始めてみると、これはこれで、想像以上に大変でしたね。

 上野の鈴本演芸場や新宿の末広亭の出番前に、近くの喫茶店の場所をお借りして、暑さ寒さに関係なく、アイスコーヒー(あたしはいつもコレです)を飲みながら、長井さんの根掘り葉掘りの質問に答える――。これを何回繰り返したのかしら。1回目が令和5年の12月。それから、だいたい月1回のペースだったかなあ。編集者に確かめたら、合計17時間も喋ったそうで、改めて驚いた次第です。

 話をする以上はその演目のことを思い出したり復習したりする必要がある。これもなかなか面倒でしたが、自分の持ちネタのことを振り返る、いい機会になりましたね。

 古今亭のお家芸と言われる『火焔太鼓』をネタ出し(事前に演目を発表しておくこと)したくない理由と、知る人ぞ知る『人情噺・火焔太鼓』誕生の経緯。真打昇進試験(昔そんな制度がありましたねェ)で『幇間腹』をなぜ選んだのか。そしてそれを聴いている幹部連の反応(当時の落語協会会長・五代目柳家小さん師匠の一言が忘れられません)。寄席で、自分の出番前に誰もやってなかったら絶対やりたいと思っている、師匠譲りの『バイオレンス子ほめ』。『らくだ』の屑屋、『文七元結』の吉原・佐野槌の女将のモデルは誰か。若い頃に覚えたものの、登場人物のあるセリフが身につまされて長い間お蔵入りになっていた『火事息子』。

 などなど、合計55席。落語好きの人たちが読んだら思わずニヤリとするような話が、結構入っていると思います。また、それぞれの演目の冒頭に、長井さんが「あらすじ」を書いてくださったので、落語初心者がお読みになれば、恰好の落語ガイドになるでしょう。

雲助おぼえ帳 滑稽噺から芝居噺まで厳選55席を語る
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