京都市が運営する「これからの1000年を紡ぐ企業」にデジリハが認定され、関連イベントに参加。同じく認定された「匠弘堂」初代宮大工棟梁・岡本弘の言葉に深く感銘する岡(写真/山本倫子)
京都市が運営する「これからの1000年を紡ぐ企業」にデジリハが認定され、関連イベントに参加。同じく認定された「匠弘堂」初代宮大工棟梁・岡本弘の言葉に深く感銘する岡(写真/山本倫子)

 最近では、脳卒中による麻痺などでリハビリが必要になった成人の利用も増えている。

 デジリハはプロジェクトが稼働したばかりの2017年、日本財団主催「ソーシャルイノベーションアワード」で228件の中から優秀賞に輝き、支援金1億5千万円を獲得。また23年には慶應義塾大学医学部主催の「健康医療ベンチャー大賞」で優勝するなど、高い社会的評価を得てきた。

「ルールにとらわれない男」と岡をよく知る人は言う。だからこそ斬新な発想のリハビリツールができたのだ。

 1981年に東京都で生まれた岡は3歳のとき、商社勤務の父親の転勤で渡米、アメリカ社会に放り込まれた。サンフランシスコの公立小学校に通っていたが、人種差別的な嫌がらせを受けた。小学6年生のときに帰国しても、“アメリカ帰り”が鼻につくのか、「いけすかないヤツ」という受け止め方をされ、中学校では上履きに画鋲を入れられたり、制服を切られたりというイジメを受ける。10代の岡は、心を許せる仲間ができず、交ざっていけないもどかしさを抱えていた。

「グレている子とか暴走族の子と友だちではあったけど、一緒にグレないしケンカもしない。よくわからないヤツって扱いでしたね。ホントは交ざりたい。でも交ざれないという状態でした」

社員に言われる。「君はデジリハを始めた人だけど、君のためにやってるわけじゃない」と。みんなデジリハを第一に考えている。岡も悪びれず「それが一番僕がやりたい組織のイメージだ」と(写真/山本倫子)
社員に言われる。「君はデジリハを始めた人だけど、君のためにやってるわけじゃない」と。みんなデジリハを第一に考えている。岡も悪びれず「それが一番僕がやりたい組織のイメージだ」と(写真/山本倫子)

 転機になったのは高校進学だった。母親に「勉強しよう。いまの校区の外に出られるから」と提案され、猛勉強し私立高校に入学した。

 岡はアメリカにいるときからヒップホップを聞き、帰国後もヘッドホンでロック、パンクなどを大音量で聞いて孤独感を癒やしていた。しかし高校生になると音楽の楽しみ方が変わる。

 東京・町田市のラーメン店でバイトし、バイト代で推しのバンドHiーSTANDARD(以下ハイスタ)の音楽CDを買い、何度も繰り返し聴いていた。また、バイト先の先輩が活動するハードコアバンドのライブスタッフとして、機材運びなどを手伝ったことも世界を広げた。スタッフとして顔を覚えられると、憧れのバンドメンバーから打ち上げに誘ってもらえるようになる。メンバーに「あの曲のこのパートがめちゃくちゃ好きです」などと熱っぽく感想を話した。

「すると厳しめのメンバーも表情を崩して“オマエ、いいじゃん”となってきて、次のライブに行くと“おお、お疲れ”と声をかけてくれて。そのときハッキリと実感したんです。“交ざれた、ようやく俺、受容されたんだ”って」

(文中敬称略)(文・西所正道)

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