
先日、友人のトトロ大嶋。くんから連絡がきた。
【写真】阪神・淡路大震災を経験したNHK大阪局放送局時代の武内さん
「トーコさん、今度『まちのラジオ』のメンバーが女川で合宿することになったんですけど、指南役でオンライン参加できません?」
トトロ大嶋。くんは放送作家にしてラジオ仕事人。東京出身だけれど東日本大震災の時に被害のひどかった宮城県女川町にいち早く駆けつけ、臨時災害放送局「女川さいがいFM」(現「オナガワエフエム」)をつくった一人である。そして今は、私もお手伝いしている石川・能登の輪島市町野町の「まちのラジオ」の立ち上げのため、町野の人たちと一緒に奔走しているのだ。
お誘いがあった合宿で何をやるのかというと、新しく臨時災害放送局を立ち上げようとしている「まちのラジオ」のメンバーが、女川の今を取材し感じたことなどを生放送でリポートする実践研修をするのだという。
どれどれ、スケジュールを見てみようかとカレンダーを開くと、あらーちょうど翌日に私の母校・神戸女学院大学150周年の講演が入ってるわ、残念〜、と連絡すると、トトロから再びLINE。「トーコさん、仙台空港から神戸空港にスカイマークが飛んでますよ。女川から仙台空港までは1時間ちょっと」とささやいてくる。
さすがに東京から女川に行って神戸に展開するのはちょっと……といったんは諦めた私だったが急に野生のトーコの血が騒ぎ始める。お昼の生放送に間に合うように早朝東京を出て仙台へ。仙石線で仙台から石巻、そこから乗り継いで女川まで。研修生放送に参加して翌日朝6時の始発列車で仙台に行き、空港線に乗り換えたら午前9時30分のスカイマーク神戸便に乗れる。講演は夕方4時過ぎからだから、なんなら親友を誘ってランチもできちゃうわよ。わお、楽しすぎ!
というわけで、東京―女川―神戸―西宮―新大阪―東京、という2日間の濃密な日程ができ上がった。幸いなことにお天気は上々、飛行機の欠航もなさそうだ。そうして念願だった女川へとうとう行けることになった。
東日本大震災のあった2011年3月。私は双子を出産して育児休職中だった。10年4月に双子を出産したのだが、一人が1000グラム未満の超低出生体重児として生まれ、生まれて2日目から何度も手術をしなくてはならないというような日々が続き、1年近くたっても娘が入院しているNICU通いの日々が続いていた。そんな折の大地震。あの時のマンションの揺れは一生忘れることはないだろう。