
〈そしてつくづくあなたはかけがえのない画家だな、と思いました〉
〈その意味で、どうか、七十までは頑張って下さい。「一九八二年、私」のリアリティをこえて、たぶん、鴨居さんの絵はもっと自然に象徴的になるような予感がするのですが、それには、ここ四、五年がもっとも大切なのではないでしょうか〉
〈芥川でしたか、すぐれた短篇が十書ければ立派な作家だと云ったのは。鴨居さんは、ぼくの見るところ、三十代の作品の中の(中略)少なくとも五点は見事な絵を描いています。それに、夢候や、蜘蛛の糸、飛ぶ教会や「一九八二年、私」などを加えれば、すでに二十点は後世に残る作品を制作しているでしょう〉
〈とみさんが云ったように、五十点は残る作品を描いてほしい。なぜなら、そんな画家はまだ日本にはいないのですから〉
坂崎先生は、鴨居は本当に死んでしまうのではないかと、恐れていたのではないか。
だからこそ、このような手紙を書いたのではなかったか。
坂崎先生は、鴨居が排ガスで自殺をした3カ月後の1985年12月に自死している。
二人ともまだ57歳だった。
坂崎乙郎の兄、坂崎太郎は朝日新聞社の企画部で美術展の仕事をしていた。その息子で音楽史研究家の坂崎紀(おさむ)(つまり坂崎乙郎の甥)に問い合わせたが、次のような返事をくれた。
〈乙郎の自死については、その後、父から多少は事情を聞きましたが、家族間の個人的な事柄ですのでお話しできることはありません。
結果的には「鴨居玲の後を追った」という解釈も可能かもしれませんし、鴨居玲の死が、少なくとも乙郎の自死の要因のひとつだったかもしれませんが、乙郎の内面は知る由もないと思っております〉
没後40年となった今年4月に、日動画廊は鴨居玲の個展を開いている。最終の土曜日には400人もの人が、さして広くはないその銀座の画廊に押し寄せた。智恵子によれば若い人の姿がとりわけ多かったという。
当時の朝日新聞の訃報にあった坂崎先生の国立のお宅を訪ねてみた。
すでに更地となり、その痕跡はなかった。
※AERA 2025年6月16日号
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