9回2死からノーノー阻止、まさかの送りバント…打席上でも数々の伝説を残した長嶋茂雄さん(写真提供・日刊スポーツ)
この記事の写真をすべて見る

 ミスタージャイアンツ、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため亡くなった。享年89歳。昭和のプロ野球を代表するスターを偲んで、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に“忘れがたきミスター伝説”を振り返ってもらった。(文中敬称略)

【写真】ドン小西さんも太鼓判!長嶋氏のファッション

*  *  *

 9回2死から長嶋茂雄がノーヒットノーラン阻止打を放ったのが、1973年7月1日の阪神戦(甲子園)。

 上田二朗の右サイドから繰り出す緩急自在の投球に、巨人打線は8回まで無安打。そして、0対4とリードされた最終回、先頭の黒江透修が中飛に倒れ、まず1死。次打者・王貞治が右翼線に鋭い当たりを放つが、わずかに切れてファウル。直後、遊ゴロに打ち取られた。

 これで2死。あと1人でノーヒットノーランという場面で、打者は4番・長嶋。この日は上田のカーブにタイミングが合わず、3打席とも凡退していた。

 捕手・田淵幸一は当然のように初球カーブのサインを出した。だが、上田は「これまでの打席ではずっと初球にカーブを投げていたから、きっとカーブにヤマを張って待っている」と考えて首を振り、裏をかくつもりでストレートを投じた。

 ところが、長嶋はその初球を「待ってました!」とばかりにフルスイング。快音を発した打球は三遊間を抜けていった。

「今日の上田は抜けるカーブが良かったんだ。しかも、コーナーギリギリにうまく決めていた。だから、カーブには手を出さないようにストレート打ち1本に絞ったのさ。そうしたら、注文どおり初球に来た」。

 裏をかく、かかないという次元を超えた天性の勘の勝利だった。

 思いきりマウンドの砂を蹴散らし、腕組みしながら天を仰ぐ上田に、一塁ベース上から長嶋が声をかける。「上田、我慢せえ。我慢だ!」。

 上田は「ええ、ちゃんと聞こえましたよ。我慢せえも何もあったもんじゃない。本当に憎らしかった」と悔しがりながらも、「でも、あの場面で思いきって狙い球を絞り込んでくるなんて、さすが長嶋さんですね」と脱帽した。

 ちなみに長嶋は、外木場義郎に7回2死までパーフェクトに抑えられた71年6月8日の広島戦(後楽園)でも、王がフルカウントから四球を選んでパーフェクトを阻止した直後、左翼席上段にチーム初安打となる同点2ランを放っている。

次のページ 「どうもバントとなると、いい当たりになっちゃうな」