空振りでヘルメットを落とす長嶋茂雄さん/1971年、日刊スポーツ撮影
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 元巨人監督の長嶋茂雄さんが3日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。89歳だった。

【写真】監督として対決した“ON”コンビなど「ミスタープロ野球」の名シーン

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 昭和の時代、国民をプロ野球に熱狂させた活躍から、「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた。1958年に巨人に入団すると、1年目から頭角を現し、新人王を獲得。その後、3番王貞治さん、4番長嶋さんの「ON」コンビで打線を引っ張り、黄金時代を築いた。巨人は、65年から73年まで9年連続日本一のV9を達成した。

 感動的なプレーの数々で「燃える男」と呼ばれた長嶋さんは、74年、「わが巨人軍は永久に不滅です」の名文句を残して現役を引退。背番号「3」は巨人の永久欠番となった。

 翌年に監督として巨人に戻ると、2期、通算15年間務めた。監督として初めて日本一を手にしたのは、94年。中日ドラゴンズを下してリーグ優勝を決め、日本シリーズでも西武ライオンズを下した。2001年に監督を退任すると同時に、終身名誉監督となった。

 04年に脳こうそくで倒れてからは、後遺症で右半身にまひが残るなか、長年リハビリに励んできた。22年9月、自宅での転倒後に脳内に出血が見つかり、緊急入院。療養生活を送りながらも、今年3月には東京ドームでドジャーズの大谷翔平選手とツーショットを撮るなど、直近まで元気な姿を見せていた。

 魂のプレーで人々に希望と活力を与え、高度経済成長に沸く日本を支えた長嶋さん。「昭和の申し子」である国民的スターの功績を、写真とともに振り返る。

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