
日本で働く外国人シェフといえば、ルーツがある国の料理を手掛ける人がほとんどだろう。一方で、日本料理の料理人として腕を磨き、自らの店を持つ人々もいる。ミャンマーに住む少数民族のラカイン族の寿司職人さんだ。AERA 2025年6月2日号より。
【写真】手つきは熟練の寿司職人そのもの。一貫ずつ、丁寧に、素早く





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階段を上り、扉を開けると店長のマウン・ラ・シュイさんが柔らかい笑顔で迎えてくれた。東京・浅草にある「寿司 令和」は、主にミャンマーに住む少数民族ラカイン族の人々が営む寿司店だ。ミャンマー料理のラペットゥ(茶葉の葉のサラダ)や創作寿司もあるものの、メニューの中心は王道の江戸前寿司。物珍しさが先立ちかねないが、マウンさんも板長のニイ・ニイ・サンさんも、長年日本で修業を積んだ熟練の寿司職人である。

マウンさんが来日したのは1996年、ニイさんの来日はその数年後だった。経済は低迷し、軍事政権による民主化運動の弾圧も激しいミャンマーから、海外に職と希望を求める若者が次々に海を渡っていた。彼らもそのひとりだった。
「何とかできる仕事を、と探して見つけたのが寿司屋の下働きでした。寿司なんて初めて見るから何もわからないところから。あらゆることで叱られました。でも、親方は日本人も、外国人の私も同じように叱ってくれていました」(マウンさん)

ためしに座った人常連に
ニイさんも、先に来日していた友人の紹介で、回転寿司店でアルバイトするようになる。日本語もわからず、最初はひたすら洗い物を繰り返していたという。そうするうちに少しずつ魚を触れるようになり、さばき方を覚えていった。
「最初はアジやイワシ。だんだんとタイ、カンパチ、マグロと大きな魚をさばけるようになっていくのがうれしかった。やればやるほど楽しくなっていったんです」
