
今年3月、ロシア国境に隣接するウクライナ北部のスームィで、ロシア人の住民に出会った。両国の激しい空爆が続く中、何を思うのか。 AERA 2025年5月26日号より。
【写真】爆撃で右手を失ったアレクセイ。母は父の死を隠していた
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ウクライナが占拠していたロシア・クルスク州。ウクライナ軍が拠点とする街、スジャの奪還をめぐって両国間で激戦が続いていた。
ロシア人の住民が避難生活を送っている施設は、ウクライナ・スームィの中心部にあり、国境近くで暮らしていた76人の避難民が収容されていた。個人スマホの使用が制限され、外出は不可。警備員が施設の出入りを確認していた。
収容されたロシア人住民の大部分は高齢の老人だ。空爆で怪我をしたのか包帯を巻いている人も見かけた。部屋の中には二段ベッドが三つほど置かれ、わずかな手荷物から着の身着のままで避難してきたことが窺える。
松葉杖をついたイーラ(38)は、クルスク州で農学者の夫(49)と共に農場を営んでいた。2024年8月6日、ウクライナ軍がクルスクに侵攻後も避難せず、変わらない日常を送っていたという。
「今年2月6日に自宅が爆撃を受け、一緒にいた夫は即死しました。私は何とか瓦礫から這い出すことが出来ました」

息子は右手を失った
この時、息子アレクセイ(11)は別の家にいて難を逃れた。だが翌日、夫の埋葬を終えたイーラがアレクセイとともに友人宅にいた時に再び爆撃を受けたという。
「夕食後に突然、爆撃を受けて瓦礫に埋もれました。助けを求める息子の声が聞こえたのですが、私は右足を骨折していて動くことができず、無事だった友人の息子に、アレクセイを助けるよう頼みました。すぐに近所の人たちが来てくれて応急処置をしてくれました。もう少し遅かったら死んでいたかもしれません。ウクライナ軍の医療施設に運ばれるときに、息子の腕が引きちぎられていたのを見てショックを受けました」