朝9時頃に夫の出勤を見送ると、食卓が仕事場に早変わり。書見台はAmazonで買った学習用を使用(撮影/加藤夏子)
朝9時頃に夫の出勤を見送ると、食卓が仕事場に早変わり。書見台はAmazonで買った学習用を使用(撮影/加藤夏子)
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 校正者、牟田都子。出版物を世に出す前に、なくてはならない存在が校正者だ。誤字脱字はもちろん、事実関係も調べあげ、間違いを指摘する。牟田都子の校正は、そこにとどまらない。著者の思いや個性を尊重し、ときには「暗がり」を残すように鉛筆を入れる。まだまだ、とも思う。天職ではない、とも言う。でも、出版業界で校正が削られがちな今、校正の存在意義を示していきたい。

【写真】担当編集者と打ち合わせをする牟田さん

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 広大な公園を見渡せるダイニングに入ると、普段食卓として使うテーブルに書見台や国語辞典、パソコン、芯を長めに削った2B鉛筆などが並ぶ。窓際に目をやると図書館などから集めた約30冊の本がタワーのように積み上げられている。ここが校正者・牟田都子(むたさとこ・45)の自宅兼仕事場だ。

 校正(校閲)とは、出版される前に試し刷りされた「ゲラ」を読み、誤字・脱字や固有名詞・事実関係の確認、時に読みやすく伝わりやすい文章にするための提案などをする仕事だ。

「積んである本は、いま取り組んでいる書籍の巻末に紹介されていて、それぞれの内容に踏み込んで書かれているので、確認したくて全部かき集めたんです。あとで大丈夫かなと悩むんだったら集められる本は手配しようと。リュックに入れたら運ぶのにさほど苦労はしないので」

 書籍のあとがきに、著者が編集者や装幀(そうてい)家への献辞を添えることは多いが、校正者へのそれはあまり目にしない。だが牟田は批評家・随筆家の若松英輔の著書にたびたび登場する。例えば『生きていくうえで、かけがえのないこと』のあとがきに、<編集者は言葉に律動を与え、校正者は書き手が十分に浮かび上がらせることのできなかった言葉を見つけ、それに息を吹き込む>と評する。

 牟田はこれまで30冊近くの若松作品を校正しているが、若松が配信する音声メルマガで牟田と対談した際には、「牟田さんが(校正を)やってくれるだろうと思って書いている。すごい安心感でやらせていただいています」と語っている。

『へろへろ』を書いた編集者の鹿子(かのこ)裕文は、あとがきに牟田の名を挙げ、<校正とは間違いを正すことだけが命ではない。(中略)書き手を尊重しながら、もっと高い場所へ、もっと新しい場所へと導こうとする愛情の深い行為なのだ>と記す。

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