「自分は年を取ったわけだし、それに応じた社会的な役割があるわけだから、そこを尊重するような服を着たいし、言葉を使いたいと思うのは、ごく自然なことかなと思います」

「じいじ ばあば」という言葉の背後にある、「年寄りくさくありたくない」という意識。哲学者で立命館大学大学院教授の千葉雅也さん(46)も、「『じいじ ばあば』は、『おじいちゃん おばあちゃん』という言い方が世代として『もう老年である』を意味することに対する拒否、否認であるということが、まず端的に言える」と指摘する。

「『じいじ ばあば』という言葉が持つ、アルカイック(古風で素朴)かつ、ある意味でキャラクター化された響きが、現実の加齢を忘却させる装置として働くのでしょう。でもそれは、ファンタジーなんです」

 祖父母になるということは本来、成熟すら超えて、決して若い人と同じように元気ではなくなるということ。そんな当たり前のことが、ある種の幻想によって覆い隠され、「みんながいつまでたっても同じように元気で若い」といったファンタズム(幻影)の中に生きる社会になってきているのではと、千葉さんは言う。

 では、そのことは何をもたらすのか。

「本来は『年長者であるだけで尊厳の対象になる』という、古今東西あったある種の『規範』の弱体化にもつながると思います」

 もちろん、「規範」が強いほど良いわけではない。いわゆるロスジェネ世代の千葉さんは、たとえば上の世代が下の世代に威圧的に接したりする行きすぎた「縦の秩序」を脱構築していこうとする、自分たちはその急先鋒だったという思いがある。

「でも、それは最低限の規範はあったうえで、縦の秩序に対する反抗や別のオルタナティブを並行して考えたうえでのこと。僕らロスジェネ世代が推し進めた人間関係の民主化が、思った以上に世の中を『何でもあり』にしてしまった。『じいじ ばあば』が広まってきた現状を見て、そんなアンビバレントな思いもあります」

 子どもや孫というものに対して、老年となった祖父母が「人間関係における規範的な一線」を引くことができず、それを好まなくなってきている傾向を、千葉さんは「じいじ ばあば」から感じ取る。

「全員が『巨大な脱規範化の運動』の中に巻き込まれている。でも、最低限守るべき一線はあるのでは、ということもあらためて考えさせられます。『じいじ ばあば』という呼び方が何の疑いもなく広まってく現状からは、さまざまな意味で世の中のたがが外れていく、非常に微かな一端がそこに見える。そんな気がしてならないんです」

(小長光哲郎)

[AERA最新号はこちら]