2016年10月、米軍の支援を受けたイラク政府軍による対ISの「モスル奪還作戦」が進行していた。三大ネットワークの一つであるNBCでは、一人の戦場記者が作戦部隊に同行し、防弾チョッキにヘルメットというスタイルで、日々レポートを送り続けていた。

 記者の名はリチャード・エンゲル、1973年生まれの43歳。

 戦場記者としては若い世代に属するが、1996年にエジプトに拠点を移して以来、パレスチナの第二次インティファーダ、アフガン戦争、イラク戦争、ハマス=イスラエル戦争、そして一連のアラブの春の騒乱からシリア内戦、現在の対IS作戦と、過去20年にわたる中東における「戦争の現場」を追いかけてきたベテランでもある。

 2003年3月のイラク戦争勃発時には、バグダッド入りして米軍の空爆と地上軍侵攻を市内から報道し続けたし、2012年には内戦下のシリアに潜入取材を行う中で誘拐事件に巻き込まれるという危険な経験もしている。TV界の勲章であるエミー賞を10回受賞し、合衆国大統領に単独インタビューが許されるなど、現在の米国のTVジャーナリズムを代表する存在と言ってもいいだろう。

 そのエンゲルが書いた半自伝ともいえる『AND THEN ALL HELL BROKE LOOSE』は本年2月に発売されると米国ではアマゾンでのレビューが670以上も寄せられるなど、中東情勢をめぐるノンフィクションとしては異例の売れ行きとなった。本書を、比較的早い段階で日本の読者にもお届けできることは、翻訳者として喜ばしく思う。

 本書の意義については、イラク戦争以降の中東の混乱を徹底した現場主義で活写していることにあるが、それ以上にエンゲルという人の二つの持ち味が生きていると思う。

 一つは、異文化の中であくまで「異邦人の孤独」を自分に課しているということだ。エンゲルは大学卒業直後に、カイロの下町に飛び込むようにしてイスラム圏での生活を始めている。以来20年、本書の中でも告白しているように、中東の古都の多くを訪ね歩いてバザールの喧騒を愛し、多くの友人を得てきている。地域への愛着は一方ならぬものがあるという。

 その一方で、暴力的なテロリストだけでなく、平和的な「原理主義者」に対しても、7世紀以来の宗派対立を墨守したり、女性差別的なカルチャーに無反省であったりする点などに対しては鋭い批判を向けている。アラブの春で倒された独裁者たちが抱えていた腐敗、厳しい宗教戒律を掲げた王国内部に漂う退廃の影などの告発にも容赦はない。

 中東に深く根ざしながら、その中東が抱える、絶望的とも言える混乱に対しては醒めた視線からの分析を怠らない。そうした姿勢には、ジャーナリストとしてのプロ意識が強く感じられる。更にその奥にはエンゲル独自の文学的とも言えるヒューマンな思いも漂っている。その個性的な文章の訳出にはかなり意を尽くした。

 もう一つは、主張が極めて現実的なことだ。理想から離れて清濁併せ呑むようになったという意味ではない。それは徹頭徹尾「現在から」発想するということだ。現在の中東情勢を語る際に、2003年のブッシュ政権のイラク侵攻への批判を中心に据えるのは簡単だ。実際にエンゲルもこの点に関する批判ということでは容赦はない。

 エンゲルの凄いところは、そこで停滞しない姿勢だ。戦争報道で重要なことは、常に現在から発想するということだ。イラクに関しては、既にフセインは亡く、米軍の軍政も終わり、脆弱で著しくシーア派勢力に偏ったイラク政府軍があるだけだ。シリアにしても、反政府運動は内戦を誘発してしまい元には戻らない。その事実は決して愉快ではないが、その事実から目を背けても「現在の問題」の解決の道筋は見えてこない。

 そう考えたとき、エンゲルが常に発信している「今、現場で何が起きているのか?」を伝えることへの強い思い、その意味合いが理解できるように思う。戦争報道というのは「お茶の間に非日常のドラマを届ける」ようなものではなく、観る者に「ではどうすればいいのか?」という同時代に生きるものとしての当事者意識、それを喚起するものだという思いだ。

 本書でのエンゲルは、必要に応じて「イスラム教創始以来の中東の歴史」に立ち戻った解説も試みている。過去の経緯が現在の戦争と平和に深く結びついている中東においては、現在から未来への選択を行うには「過去から現在への連続性」が無視できないからだ。本書は、そのような時空の広がりの中に「中東のリアル」を描き切った書だとも言えるだろう。