1986年当時の中山美穂さん

「とにかくこの子は目がいい」

 ファン姉妹の妹は涙をハンカチで拭いながらこう話す。

「白いカーネーションを供えたらなんだか泣けてきて……。美穂ちゃんがライブ活動を復活した3年前の池袋のファンミーティングで、私、質問したんです。美穂ちゃんに『どうしても諦められ切れないときはどうしたらいいですか?』と聞いたら、美穂ちゃんは『すごく悩んでいるのね。私は歌手を諦めようとしたときがあったけど、諦めなくてよかった。後で後悔だけはしてほしくないわ』と答えてくれたんです。献花をしながら『後悔をしない生き方をします』と誓っていました」

 白いカーネーションの花言葉は「純粋な愛」「尊敬」などがある。

 中山さんは12歳のとき、東京・原宿でスカウトされて芸能界に飛び込んだ。中山さんをスカウトして売れっ子に育てた所属事務所ビッグアップルの創業者・山中則男さんもお別れの会に参列した。山中さんは関係者が集う1部に参加した後、午後6時半頃に会場外に並ぶファンたちの前に顔を出したという。

「そこでうれしかったのは、私の顔を覚えていてくれる人たちがいたことです。『山中社長ですよね。私たち昔、親衛隊をやっていたんです』と声を掛けられました。コンサート会場へ行くと、美穂は必ず、親衛隊の人たちにあいさつをしていたんですよ。『頑張ってくれてありがとう』って。美穂はやさしかったですからね。やさしくされた人はみんな覚えていてくれるんです。いつのまにか輪ができて、親衛隊を含めて15人くらいで、記念写真を撮りました」

 中山さんを原宿でスカウトした日のことは鮮明に覚えているという。

「パっと見た瞬間に、とにかくこの子は目がいいな、目力があるなと。最初は売れなかったけど、絶対にこのままでは終わらないと思った。今日も知り合いから『山中さんがここまで入れ込まなければ、中山美穂は生まれなかったかもしれないよね』と言われました」

  6月18日にはNHKホールで「中山美穂 40th Anniversary Concert -Un-~P.S.I LOVE YOU~」の開催が予定されている。2部構成で、第1部はNHK出演時の貴重な映像が流れ、第2部はバンドの生演奏によるコンサートとなるという。

 お別れ会が終わっても、中山美穂さんは、ファンの心の中でずっと輝き続けている。

(AERA編集部・上田耕司)

[AERA最新号はこちら]