
昨年12月に急逝した中山美穂さん(享年54)のお別れ会が4月22日、東京・丸の内の東京国際フォーラムで開かれた。会は2部制で実施され、1部では仕事仲間などの関係者が約800人参列し、2部では一般のファン約1万人が中山さんに別れを告げた。遠方から泊まりでやって来た“ガチファン”や中山さんを芸能界にスカウトした“育ての親”に今の思いなどを聞いた。
【写真】「目がいい」と事務所社長が話す16歳ごろの中山美穂さん
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「昨年は美穂ちゃんのコンサートに7回行きました。今年は広島、岡山、福岡など14カ所に行くつもりで、すべて予約して、ホテルも飛行機もおさえていました。それも全部キャンセルになってしまいました……。コンサートで全国を回っていると、その土地、その土地で反応も違うし、美穂ちゃんの言うことも違うんです。そういう楽しみがなくなっちゃいましたね……」
群馬県在住の50代の女性は、涙で声を詰まらせながらこう話した。隣にいたのは広島県からやってきたという50代女性。2人は中山さんのコンサートを通じて知り合った“ガチファン”で、広島県から来た女性は泊まりがけでお別れの会に来たという。
「私たちは、23年6月に山梨県で開催された美穂ちゃんのデビュー38周年のコンサートで知り合いました。本当は、今年の4月25日に広島県でコンサートが予定されていて、それも2人で行くつもりだったんですけど、それはかなわなくなってしまいました」
中山さんを最後に見たのは昨年12月1日、ビルボード横浜でのライブだった。
「私は昼の部に行きましたが、その時は美穂ちゃんはすごく元気で、声も出ていた。病気っぽい感じもしなかったし、ダンスもすごかったんですよ」(群馬県の女性)
それから5日後の12月6日。中山さんは東京・渋谷区の自宅の浴槽の中で帰らぬ人となった。死因について、所属事務所は「入浴中の不慮の事故」と発表した。
群馬から来た女性は、中山さんが亡くなったときの気持ちをこう話す。
「美穂ちゃんが亡くなったというニュースが流れたときは、ちょうど仕事中で携帯を見られなかったんです。後で携帯にメッセージが何件もあって……そのときはもうダメでした。ショックで会社から家へ帰るのもやっとで、何日間かはごはんも食べられませんでした」