中居氏が育った辻堂の街並み(2024年)。写真はイメージ

「中居くんみたいになれる人は1%もいない」

 前出の近所住民はこう話す。

「日曜日になると、正広は父親と一緒にキャッチボールをしていましたが、人が来るとちゃんと投げるのを止めて、端っこによけたりしていました。そういうしつけけがよくできている子でした。野球をやっているから靴下はいいものを履かせてましたね」

 本人も過去に語っているように、ヤンキーだった時期もあるようだが……。

「ちょっとやんちゃな感じはありました。暴走族じゃないんだけれども……ヤンキーっぽくはありましたね。多分、お兄ちゃんとかのつながりで先輩の影響もあったんだと思います。ただ、中学時代に(旧)ジャニーズに入ったことからも、ヤンキーにどっぷりつかっていたわけではないと思います」(前出の同級生)

 旧ジャニーズ事務所に入所してからは、やはり周囲の環境も変わっていったようだ。藤沢市に住む知人女性はこう話す。

「辻堂に引っ越した後の中居くんの家に行ったことがあります。だけど、そこも引っ越さなきゃいけないと母親が言うので、『何で引っ越すの?』と聞くと、『ファンの人がやってきて、一晩中、家のまわりにいっぱいいて……ジュースを飲んだり、寝たりするから、ごみが落ちている、と近所の人に怒られました』と言っていたのを覚えています」

 SMAPのメンバーとして国民的アイドルになってからも、藤沢にはちょくちょく帰って来ていたようだ。

「小学生の時は野球、中学時代はバスケをやっていたので、その仲間や先輩、同級生、後輩が地元にはいます。中居なりの交友関係があって、そういう人たちと飲んだり、遊んだりするのが楽しみのようでした」(前出・同級生)

「中居は地元愛が強い。地元の友達と飲み歩いてお金も使ってくれました。だから、地元では中居の評判はいいですよ」(地元の商店街店主)

 大人になってからも地元の友達と交友関係を続け、飲食店での評判も上々の中居氏だが、元女性アナウンサーに対する「性加害」が第三者委員会に認定されたことに対して、地元住民はどう思うのか。藤沢市内のスナックのママはこう話す。

「芸能界で中居くんみたいになれる人って1%もいないと思うんです。SMAPでアイドルとして長く売れ続けて、個人でも、ニュースやバラエティーのMCを数多くこなしてきた。それができたのはジャニーズ事務所の力もあっただろうけど、本人の才能もあったはずです。それが全部なくなって、芸能界から引退とはもったいないのひと言です」

次のページ 藤沢に戻って来ることはない?