元タレントの中居正広氏(撮影/今村拓馬)
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 元タレントの中居正広氏(52)の女性トラブルに端を発した一連のフジテレビ問題は、社長交代のみならず、同社の“ドン”と呼ばれた日枝久元取締役相談役(87)の退任にまで発展した。さらに総務省はフジテレビと親会社のフジHD(フジ・メディア・ホールディングス)に厳重注意の行政指導を行った。6月のフジHDの株主総会ではまた一波乱ありそうだが、その発端となった中居氏は表舞台に姿を現していない。芸能界復帰は絶望的とみられているが、中居氏の地元で旧友らに取材をすると“意外な反応”が返ってきた。

【写真】小学5年から中居氏が育った「辻堂」の街並み

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 中居氏は神奈川県藤沢市で、3人兄弟の末っ子として生まれた。幼少期は辻堂にある幼稚園に通った。中居氏と同じ歳の息子を持つ母親はこう話す。

「中居くんとうちの息子は同じ幼稚園でした。中居くんは元気で駆け回っていましたよ。中居くんの家からはもっと近い幼稚園があったんですが、通っていた幼稚園はバスでの送り迎えがあったので、こっちを選んだようです」

 地域住民による中居氏の子ども時代の印象は「元気で礼儀正しい子」。幼少期を過ごした藤沢市の自宅付近の住民はこう話す。

「昔は、すぐそこに魚屋さんがあったから、正広はおつかいでよく買い物に行っていました。奥さんは礼儀正しい人で、あいさつもきちんとしていましたよ。奥さんの子育ての方針は『人に迷惑かけちゃいけない』というもの。だから、正広は素直に育ったのに……いつの間にか芸能界のあしき風習に染まってしまったのかな」

 中居氏は小学5年のときに辻堂の小学校に転校し、そのまま中学校に進学した。子どもの頃、自宅の外では、スポーツ好きな父親とよく野球のキャッチボールをやっていた姿が目撃されている。小学校時代の同級生は、「勉強よりも運動で目立っていた」と話す。

「中居は少年野球チームに所属していました。レギュラーのようだったけれど、町内会のチームなので、そんなに大きなチームではありませんでした。大人になってからも『巨人が好き』と言っていましたね。勉強のほうは普通というか、あんまり目立なかった。それよりも、運動神経がよかったから、女子生徒から人気がありました」

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