
まわりからのまなざし
上村:そうですね。私は実際に母を介護していましたが、母を抱えようとして2人で倒れ込んで、2人で笑っちゃったみたいな場面があったんです。その様子をほかの人に話した時に、私は笑い話として話しているのに笑い話として伝わらないところがあった。それをちゃんと一回笑いとして受け取ってもらいたいと思って小説にしました。難病の母を介護する女子高生っていうキャラクターを書くと、ウェットな物語だと思われちゃう。「かわいそう」と思われることへのカウンターを書きたいと思っていたし、そういう物語が書けたと思っているので、自分の中でも心持ちとして高校時代に抱えていた、自分はかわいそうな人間と思っていないのに、まわりからはそういうまなざしで見られてしまう、みたいなところにケリがつけられたかな。
小島:まわりが考えすぎなのかもしれませんね。ある講演会で小学6年生の子に「僕を恋愛対象として見れますか」って質問されたんですよ。すごい考えちゃって、ジェンダーの問題もあるし、どうしようって。結局「結婚してるから、恋愛対象として見れないんだ」って答えたんです。でも後で聞いたら、その子はボケで言っていたらしいんですね。一方で上村さんの話ではないけれど、子どもは意外とその環境は自分にとっては普通だったりするのに、それを他者が大変だねという物語を作りだしている感じはします。

成長のための栄養剤に
上村:ジェンダーの話でもそうですけど、例えばパートナーの話をしている時に、それが同性である可能性もあるかもしれない。その想像力みたいなものを持とうという意識を持っているけど、なかなかそれが届かない部分があるなって思っています。
小島:例えば最近、子どもたちを「さん」で呼ばないといけないみたいなのがあって。「君」とか「ちゃん」は、決めつけになっちゃうから「さん」で呼んでくださいって言われるんですよ。でも違和感もあるんです。もしかして、その子が女の子の心を持ってる男の子でも「君」と呼ばれていることの葛藤や自分の中でモヤモヤしてることが、もしかしたらその子にとっては成長のための栄養剤になるかもしれない。でも大人に先に正しいことを言われちゃうと、モヤモヤみたいなのを投げつける場所を失わせてないか、ちょっと気遣いしすぎてないかなって思いもあります。先回りしすぎて僕らが10代のころに抱えていた「そうじゃねえんだよ」みたいなエネルギーを排除することで、失っているものもあるんじゃないかって。
(構成/編集部・三島恵美子)
※AERA 2025年4月28日号より抜粋