日本海の浜へくると、佐渡島がみえた。いまフェリーがあるが昔は幅が広く底が浅いたらい舟だった。ときに外国船が着き、町で外国人をみかけた(撮影:山中蔵人)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年4月21日号では、前号に引き続き三井住友トラストグループ・大久保哲夫会長が登場し、「源流」である新潟県直江津市(現・上越市)の直江津小学校などを訪れた。

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 転校。

 それまで溶け込んでいた空気から出て、同級生も先生も、教室も学校も、知らないだらけの世界へ移る。子どもにとって、最大級の変化だ。それが、小学校、中学校、高校の12年間で一度ならず何度もあったら、かなりの試練だろう。

 連載に登場したトップには、そんな体験を持つ人が少なくない。ただ、たとえ厳しいことがあっても、転校で得た新たな経験を、むしろその後の歩みの糧にしていた。適応力の発揮だ。それは変化が激しく速い今日、トップには欠かせない。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 昨年11月後半、新潟県直江津市(現・上越市)の直江津小学校を、連載の企画で一緒に訪ねた。4年生で転校してきて、6年生になる前にまた転校して去った。その間、夏休みや冬休みに独りきて観た季節によって表情を変える日本海。その穏やかさと荒々しさが、硬軟双方の姿をみせる大久保哲夫さんのビジネスパーソンとしての『源流』を生んだ。直江津小学校への転校は、その水源となった。

 訪れるのは、父の転勤で2度目の東京へいって以来、57年ぶりだ。「ここがいまの正門ですか、前は向こう側から入っていた。すごく変わって、聞かずにきたら、たぶん分からない」

びっくりして参った「東京からきたから」で選ばれてしまう

 直江津に父が勤める化学会社の工場があり、1956年4月に生まれて、小学校に入る直前までも住んでいた。でも、再び戻ってくるまでの3年間に、転居先の東京都世田谷区の小学校で「都会の空気」を、身にまとっていたのだろう。

 4年生の始業式の日、母と登校して担任教諭に挨拶した後、遭遇したのが、男女各1人の学級委員の選挙だ。誰も立候補しないなか、先生が「じゃあ、誰がいいと思う」と言うと、「東京からきたから」という理由で推薦され、選ばれてしまう。

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