
私は2019年4月11日から性暴力に抗議するフラワーデモを毎月11日に開催している。雨の日でも、寒い日でもとにかく11日は東京駅前のフラワーデモの場に行こうと決めているのは、毎回のように、新しい参加者がやってくるからだ。たとえどんなに寒い日でも、冷たい雨が降る日でも「自分が受けた性被害を聞いてほしい」と悔しさに涙する人が、毎月誰かやってくる。何を言っても聞いてもらえなかった。何をしても壁が立ちはだかった。周りの人たちは被害者ではなく加害者を守った。悔しくて、悔しくて、たまらない……。
性被害の多くは「男女のトラブル」とこれまで表現されてきた。被害者自身が「そう思いこんでいる」場合もある。それは加害者があまりにあっけらかんとし、手慣れた様子であり、罪悪感のかけらも見せないため、「自分のほうが認知が歪んでいる」と自分を責めてしまうからだ。
たとえばフラワーデモで語られたこと。その女性は職場の男性に「車で送ってあげる」と声をかけられた。ちょっと嫌な予感がしたが、善意を否定するのも気が引けて車に乗った。案の定、知らない道を通り、山奥に入っていき、車を止められ性交を求められた。街灯のない山奥で車から降ろされるか、断って殴られるか、黙って性交するか。彼女は性交を選んだ。彼女は「自分で選んだ」と思い、何十年も自分を責め続けてきた。おそらく加害者はもうとっくに忘れているだろう。
女性がたとえ最終的に「選んだ」としても、圧倒的に不利な状況におかれた性交に同意はない。それは性暴力なのだ。そういう空気が、今、少しずつこの社会に広まってきているのを、今回の膨大な報告書を読み実感する。
先週土曜日、TBS系「オールスター感謝祭」という番組で、50代の男性芸人が20代の女性芸能人に対し「俺の女になれ」と言って追いかけ回したことがSNSで話題になっていた。女性芸能人は本気で逃げ、涙を出したのだ。その男性芸人は、上半身裸で、下半身の形状を露わにするようなピッタリとしたタイツ1枚で、女性に性的に嫌がらせをする「キモイ男」であることが芸風とされてきた人である。