第三者委員会の報告書を読みながら、この出来事が何度も頭をよぎった。報告書では、中居氏が事件の数日前のBBQの会に「男同士じゃつまらんね」と、フジテレビの男性社員に女性の参加を求めていたことが記録されていた。「男同士じゃつまらんね」という、この社会でテンプレのように男性たちが言いたがる言葉と、「俺の女になれ」と上半身裸でかけ回る男の姿に盛りあがるテレビの中の空気がつながった。

 長い間テレビの中では、女性を怖がらせたり、からかったり、キモがらせたりして、何らかの反応をさせることが「おもしろい」とする文化があった。小学校時代に多くの女の子が本当に嫌な思いをした「スカートめくり」と同じ構造だ。その前提には、男同士の連帯が必要だ。「男同士じゃつまらない」とは「オモチャ役がいないから」だ。男が男と遊ぶために、オモチャとしての女が必要とされてきた。中居氏に限らず、フジテレビに限らず、それは日本社会でどこでも起きてきたことだった。

 なぜ、ある種の男たちは、自らキモイ男を目指すのだろう。それを楽しいと思うのだろう。女の叫びや女の不安を娯楽にするのだろう。テレビから流れる男たちの笑い声の中で行われてきた“キモイこと”への開き直りは、もしかしたらこの国の性暴力を加速させてきたのかもしれないとも思う。仕事という大義名分で、男の連帯を強めるために、女をずっとオモチャにしてきたのかもしれないとも思う。そんな危険な社会を私たちは生き抜いてきたのだ。

 もうすぐフラワーデモ7年目の春を迎える。性被害者が強いられてきた重い沈黙と、深い苦しみが、この社会の扉を少しずつ開けようとしているのを実感する。

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