前年の上位3チーム・ヤクルト巨人阪神に次ぐダークホースだった広島は、開幕のヤクルト2連戦を北別府学、川口和久の好投で連勝スタートを切ると、横浜にも3連勝し、球団史上初の開幕5連勝を達成する。

 さらに4月17日の巨人戦でも、2点を追う5回に2本のタイムリーで3対2と逆転。先発・北別府も7回を3安打2失点と投打がかみ合い、6連勝となった。

 そして、当時のセ・リーグタイ記録・開幕7連勝がかかった翌18日の巨人戦でも、9回に3点差を追いつく粘りを見せるも、延長10回、4対5で敗れ、ついに連勝ストップ。それでも山本浩二監督は「(負けたけど)あの粘りというのはねえ」と最後まで試合をあきらめないナインの頑張りに手応えを感じていた。

 その後もチームは勢いを持続し、4月は11勝4敗。2年ぶりリーグ優勝も期待されたが、新4番・メディーナが開幕3戦目に負傷離脱した影響や投手陣の不調もあり、5月に2度にわたって5連敗を記録するなど、8勝15敗と急失速。勝率5割前後で8月末まで何とか3位をキープしていたが、8月31日から12連敗して最下位に転落すると、9月を5勝19敗、10月も6勝13敗と大きく負け越し、19シーズンぶり最下位に。山本監督も引責辞任となった。

 3年連続最下位、球団身売りと苦境が続くなかで、突然変異のように開幕5連勝してパ・リーグの主役に躍り出たのが、1973年の太平洋クラブだ。

 西鉄の身売りを受けて、新球団としてプロ野球に参入した太平洋は、積極的なトレードを行い、戦力を一新。同年から“不人気パ”の人気挽回策として導入された前後期2シーズン制も追い風となる。

 4月14日の開幕戦、太平洋は新外国人・ビュフォードのサヨナラ本塁打でロッテに8対7と打ち勝つと、22歳のエース・東尾修の完封劇などで近鉄を三タテ。4月20日の南海戦も入団2年目右腕・加藤初が1失点完投で、開幕5連勝を達成した。

 その後も5月初めまで首位を守り、西鉄低迷期に不遇をかこっていた九州の野球ファンを熱狂させた。

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なりふり構わず勝ちにいった開幕ダッシュには大きな意味が