だが、5月3日、ロッテとの首位攻防戦で6回までに2対11と大差をつけられると、血気盛んな太平洋ファンがグラウンドに瓶や缶などを投げ込む騒ぎが勃発。さらにロッテ・金田正一監督の「九州のファンは田舎者でマナーを知らない」の発言がファンの怒りを倍加させ、以来、両チームの対戦は“遺恨試合”として、時には機動隊も出動する社会問題にまで発展した。
実は、この遺恨試合は、人気を盛り上げるために太平洋側と金田監督が示し合わせて演出したものだった。せっかくのアイデアもチームが勝たなければ集客につながらないことから、球団は稲尾和久監督に「(開幕後)1カ月限定でいいから、優勝を狙う位置にいてくれ。あとは負けてもいいから」と指示したという。
そして、なりふり構わず勝ちにいったことが開幕ダッシュにつながったが、そのリバウンドも大きく、5月中旬以降失速した太平洋は、前期4位、後期5位で終わった。
だが、同年の入場者数は前年の西鉄時代の3倍近い87万6000人にアップ。当時の野球ファンがいかに熱かったかが窺える。(文・久保田龍雄)
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。