作家、コラムニスト/ブレイディみかこ
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 英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。

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 ヴァンス米副大統領の9年前の著書『ヒルビリー・エレジー』が再注目されているらしい。3年前に日本で文庫化された際、初版に「米大統領が代わっても、忘れられてはならない本がここにある」という推薦文を寄せた。当時の「米大統領が代わっても」は、「トランプからバイデンに代わっても」の意味だった。トランプ旋風の背景を知るために注目された同書が、政権交代ですでに忘れられかけていた。が、民主党が政権を取ってもこの本が投げかけた問題は残っていたからそう書いた。それはブレグジットの国で暮らす人間としての実感で書いた文章でもあった。

 実は、英国版『ヒルビリー・エレジー』と呼ばれた本もある。スコットランド出身のラッパー、ロキことダレン・マクガーヴェイの『ポバティー・サファリ』だ。この2018年オーウェル賞受賞作が翌年に日本で出版された時も、私は「『右と左』だの『上と下』だのではない。『人間』なのだ。そう本書は教えてくれた」と推薦文を寄せた。

 両作への推薦依頼が来たのは、私にも『子どもたちの階級闘争』という、英国の貧困地域について書いた著書があったからだ。10年代後半には、「ブレグジット、トランプ現象、いったい何が起こっているの?」的な関心が高まり、荒廃した地方の絶望と怒りを窓から覗かせてくれる「貧困サファリ」を提供できる本への需要があった。

『ヒルビリー・エレジー』と『ポバティー・サファリ』は似ている。薬物依存症の母親のもと、貧困と暴力が蔓延する地域で育った著者の自伝である点や、自らの経験を通し、経済的貧困と社会的貧困、その原因と解決について洞察しているのも同じだ。両者ともに左派の失敗を指摘し、前者は問題の解決を家族の関係性に求め、後者は(右派の専売特許になった)「自己責任」の概念の脱構築に求めた。

 二冊の本はそれぞれの国でベストセラーになったが、その後の著者たちは、進路も、政治的スタンスも見事に正反対だ。原因は複数ある。『ヒルビリー・エレジー』の謝辞で、著者の「とびきり有能なメンターや友人」の一人としてピーター・ティールの名が挙がっていたのは間違いなくその一つだ。

AERA 2025年3月31日号

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