※写真はイメージです(写真/Getty Images)
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「いつかは子どもを」と考えつつも、日々の生活や仕事に追われているうちに、“出産適齢期”の上限とされる35歳を過ぎてしまう。万人に共通するベストな「産み時」なんてないけれど、タイムリミットも存在する。そんな悩みを解決すべく生まれたのが、「卵子凍結」という医療技術である。 

 週刊朝日の元記者、松岡かすみさんの著著 『-196℃の願い 卵子凍結を選んだ女性たち』の中では、年齢も育ちもキャリアも違う8人の女性が登場している。第3回目は、増永菜生さん(35歳・研究職)の声を再構成して紹介する。

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 増永菜生(なお)さん、35歳。京都大学、一橋大学大学院を経て、現在ローマ第一大学博士課程に通う学生で、博士号の取得を目指し、目下論文の執筆に追われる日々を過ごしている。

 イタリアに住み始め8年。専攻は、ルネサンス期(15世紀)のイタリア史だ。歴史や美術に強い関心があり、休日は美術館やカフェめぐりをして過ごすのが至福の時間だという。

 卵子凍結をしたきっかけは、乳腺にできた腫瘍だった。「もしかして乳がんだったらどうしよう」と検査結果を待つ期間は、底知れぬ不安を感じた時間だった。結果的に、腫瘍は良性であり、手術をすれば問題ないと分かって、ほっと胸をなでおろしたが、「いつまでも健康でいられるわけじゃないかもしれない」と気づかされたことが大きかったという。その3年後の33歳の時に、卵子凍結をした。

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