
当時日本ハムを取材していた記者がこう話す。
「パンチ力があり、選球眼もいい。守備能力も高いですし、新庄監督は実力を評価していました。22年の春季キャンプで新庄監督は、2ストライクに追い込まれたら考え方を変えて、軽く打つペッパー打法をするよう野手に伝えましたが、この打法で結果を出していたのが佐藤龍。新庄監督は『ペッパー師匠』と名付けて評価していました。ただ、パフォーマンスにムラがあるのが気になるところでした。持っている能力は高いけど生かしきれていない印象です」
契約更改でコンバート希望
西武に復帰以降は奮闘していた。23年は自己最多の91試合に出場し、打率.263、3本塁打、16打点をマーク。オフに背番号が「58」から「10」に変わった。中心選手でオリックスに移籍した森友哉がつけていた番号だったことが、球団の期待の大きさを物語っている。昨年は左有鈎骨骨折で戦列を離れた時期があったが、93試合出場で自己最多の7本塁打をマーク。出塁率.330は300打席以上の選手の中でチームトップの数字で、8月下旬以降は4番に固定されていた。
だが、オフの契約更改の席で驚きの発言をしてしまう。新たに就任した西口監督の方針で、外崎修汰が二塁から三塁へコンバートすることになったが、三塁を主に守っていた佐藤龍は「外崎さんとは絶対に争いたくない」と外野コンバートを希望したのだ。
「西口監督は外崎を三塁のレギュラーに決めていたわけではない。近年のパフォーマンスは物足りなかったですし、三塁の守備力で言えば佐藤龍の方が上です。高いレベルで争うことがチーム力の底上げにつながると西口監督が判断したにもかかわらず、競争から降りる発言をしてしまった。外崎のことを尊敬していて感情的になったのかもしれませんが、精神的に未熟だと感じましたね」(スポーツ紙デスク)
2月の春季キャンプでは声を張り上げ、精力的に三塁の守備に取り組む姿が見られたが、どこかに心の隙があったと指摘されても言い訳できない。今回の失態で開幕1軍は絶望的な状況になった。
西武OBは「ヤンチャに見えるけどあいつは繊細。昔よりは成長しましたけど、ミスすると引きずるし、気持ちの切り替えがうまくない。でも、28歳という年齢を考えるとチームを引っ張ってもらわないと困る。今回の遅刻のニュースを聞いた時は、腹が立つというより情けない気持ちになりました。チャンスが与えられるかは分からないですが、失った信頼を積み重ねるにはこれからの行動で示すしかない」と奮起を促す。
自分自身の行動を見つめ直して、もう一度はい上がるしかないだろう。
(AERA dot.編集部)

