1973年11月、ロサンゼルスのスタジオで『プラネット・ウェイヴズ』を録音したボブ・ディランとザ・バンドは、発売日直前ということになる翌74年1月3日、シカゴから北米ツアーをスタートさせている。21都市のアリーナとスタジアムを回り、40回もステージに立つという大規模なものだった(2回公演の日もあった)。前回も書いたことだが、1966年夏のオートバイ事故以降ディランは、イベントなどを別にすると、本格的なコンサートを行なっていなかったので、約8年ぶりのツアー復帰となった。その66年のツアーは、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンらをバックに行なわれたもの。当時の彼らはザ・ホウクスと名乗っていて、また、諸事情からリヴォン・ヘルムは同行していなかったが、ともかく、ザ・バンドとのツアーも8年ぶりとなるものだった。
その1974年北米ツアーから中盤のニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン、終盤のロサンゼルス(正確にはイングルウッド)、ザ・フォーラムでのライヴをまとめた2枚組アルバムが同年夏にリリースされている。『ビフォア・ザ・フラッド』だ。
演奏曲目は毎日少しずつ変化させながらも、基本的には、ディラン/ザ・バンドのセットでスタートし、ザ・バンドだけのセット、ディラン/ザ・バンド、ディランの弾き語り、ザ・バンド、ディラン/ザ・バンドと流れていく構成が採用されていたようだ。アルバムでもその流れが再現されていて、サイド1はディラン/ザ・バンドで《レイ・レディ・レイ》《イット・エイント・ミー・ベイブ》など6曲、サイド2は未発表だった《エンドレス・ハイウェイ》を含むザ・バンドの5曲、サイド3はディランの弾き語りで《ドント・シンク・トゥワイス、イッツ・オール・ライト》など3曲と、《ザ・ウェイト》を含むザ・バンドの3曲、サイド4はディラン/ザ・バンドで《オール・アロング・ザ・ウォッチタワー》《ハイウェイ61リヴィジテッド》《ライク・ア・ローリング・ストーン》《ブロウイン・イン・ザ・ウィンド》の4曲と進んでいく(ツアー中『プラネット・ウェイヴズ』からの曲も演奏されたそうが、残念ながら、ここには収められていない)。
マディソンとフォーラムのキャパシティはどちらも2万人前後。大きからず、小さからず、といったところだろうか。そこで残された音が、フィル・ラモーンとロブ・フラボーニの手によって、しっかりと作品化されている。ザ・バンドだけのセットは、正直なところ、《まとまり過ぎ》という印象なのだが、ジミ・ヘンドリックス版からの逆刺激も感じられる《ウォッチタワー》をはじめ、ディランとの曲は、どれも力強い。また弾き語りの《イッツ・オーライト、マ(アイム・オンリー・ブリーディング)》で《時にはアメリカ大統領でさえ すべてをさらけ出さなければならない》という歌詞に、ウォーターゲイト事件でニクソンが追い込まれていた時期だったこともあり、満員のオーディエンスが大きく反応する様子もリアルに記録されている。
その聴衆がライターやマッチを掲げ、アンコールを求める姿をとらえたジャケットは、もちろん会場全体からではなかったとはいえ、ブーイングやヤジを浴びることもあったと伝えられる66年のツアーからは大きく状況が変化したことを示している。『偉大なる復活』という邦題もまた、そういう想いが強く込められたものなのだろう。[次回11/2(水)更新予定]