
看護師の仕事内容や本音は意外と知らないもの。そんな看護師について、現役医師の松永正訓氏が小説風のドキュメンタリーで解説する。新人看護師・千里とともに病院のリアルを見てみよう。本稿は、松永正訓『看護師の正体 医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。
看護学校を卒業した千里20歳
1994年に病棟勤務スタート
1994年(平成6年)に千里は20歳で、市立「海が見える病院」に勤務することになった。はっきり言えば、この病院を好きで選んだわけではない。看護学生のときに奨学金をもらっており、この病院に3年間勤めれば返済を免れることができるためだ。
田舎とはいえ、病院はJRの駅のすぐそばにあり、周囲は繁華街だった。それなりに大きな6階建ての白亜の建物である。病床数は約350。この地域では最も住民が頼りにしている病院である。
しかしその外壁もよく見れば、けっこう薄汚れている。内部は清掃が行き届いていたが、壁も床も染みや汚れがこびりついていた。何しろ建てられたのが戦後すぐというから、老朽化が進んでいるのもしかたがない。数年後には新病院に建てかえられるという噂もある。
学生生活が終わり、いよいよ仕事だと思うと千里は気合が入った。(よーし、やるぞ)という気持ちだった。不安感はあまりない。
不安がない理由は、学生実習でこの病院で働いた経験がすでにあったことと、配属された病棟に看護学校時代の同級生が2人いたからだ。
彼女たちが働くのは、3階南病棟。この病棟は中央にナースステーションがあり、東西に長い廊下が延びていた。東には大部屋が並んでおり、こちらを担当するのがAチーム。西には個室がずらりと並んでいて、こっちの担当をBチームと呼んでいた。それぞれのチームには日替わりでリーダーを務める看護師がいる。看護師たちは、リーダーを中心に動いていた。
3南病棟は、いわゆる混合病棟である。大部屋には各科の比較的軽症の患者が入院していた。たとえば、白内障とか、糖尿病とか、消化器の病気とか、皮膚の病気とか。一方で、個室には重症患者、それも先の見通しが暗い患者が入院していた。