アメリカの強烈な力、アメリカの持つ末恐ろしさというものを目の当たりにし、幼い頃に観たドラマ「刑事コロンボ」をふと思い出す。1970年代の豊かなアメリカを舞台にした旧シリーズの中で、殺人犯によるこんなセリフがあった。

「アメリカは商人の国。商人が豊かにした国なのです」

 それは、「アメリカは自由と民主主義の国」と、「教わってきた」私にとって衝撃的なセリフだった。だからこそ40年以上前に観たドラマなのに、いまだに覚えているのだ。でも、2025年の今、「私はビジネスマンだ」「交渉が私の人生だ」と堂々と誇らしげに語るトランプ大統領を見て、アメリカというものをこれまで以上に知るような気持ちになる。そもそも「自由と民主主義」の代表の顔をしてきた「アメリカの正義」とはどのようなものだったのか、と。そもそも「自由と民主主義」というものを、私たちはどのくらい知っているのだろうか、と。そして、アメリカに限らず、女たちの声が通らない「男らしい世界」というものの滑稽さと情けなさと、その改めての暴力性についてを。

 国際女性デーは、1909年にロシアからの難民テレサ・マルキールがニューヨークで立ち上がったことが起源だとされている。さらにその8年後に起きた1917年のロシア革命は、国際女性デーを祝う女たちのデモがきっかけだったと言われている。20世紀初頭、自らの尊厳を求める女たちの祈りと闘いは、国境を超え世界中に飛び火したのだ。人種も国籍も関係なく「女性だから」味わう差別に、私たちはもう、黙っているわけにはいかないのだ、と。そしていまだにその闘いは道半ばなのだ。カネとメンツと交渉に没頭する男たちと「対等に闘え」なんていう無理なゲームを押しつけられているうちは、男女平等社会など、遠い絵空事なのかもしれないのだから。

 国際女性デーはロシアをはじめ、多くの国で、女性にはミモザの花が贈られるという。今年は、私も大切な友だちにミモザを贈ろうと思う。女性であることを祝いながら、丁寧にその日を過ごしたいと思う。男のメンツが支配する世界ではなく、女の真剣によって平和が実行される日を求めて。

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